”誤報騒ぎ”に学ぶ。人が失敗する原因「見たいものしか見ない」。

 

「人は、自分が見たいものしか見えなくなる」という言葉がある。

例えば、好きな人の行動や言葉を見たり聞いたりすると、「ひょっとしたら、あの人も自分に好意あるかも」と都合のいい理解をすることがある。
見たいものしか見えなくなった状態だ。

まわりから見たら、そんなことはないと分かるのだけど。

または、「絶対に成功したい!」と願っていると、自分が成功する要素や可能性しか見えなくなる。

まわりから見たら、そんなことはないのだけど。

 

自分にとって好ましい情報だけを集めてしまうことで、ものごと全体を正しく把握することができない。
それが失敗の最大原因になる。

「見たいものしか見ない」ということから起こるミスは、だれでも一度や二度はあると思う。

 

ユリウス・カエサルもこんなことを言っている。

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」

「ルネッサンスとは何であったのか (塩野七生:新潮文庫)」

ユリウス・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー)はローマの政治家であり軍人。
カエサル(紀元前100年~前44年)は世界史の超重要人物で、海外では「知ってて当たり前」という人。

人間は変わるし変わらない。
2000年以上前から人は、自分が見たい現実しか見えなくなることがあった。

 

 

最近、新聞の「誤報騒ぎ」があった。

朝日新聞はモリカケ問題で「安倍晋三記念小学校」と報道したけど、実際にはそんな小学校はなかった。
それで、言われた側の安倍首相が国会でこの報道を批判する。

くわしいことは産経新聞の記事(2017.11.28)をご覧ください。

全文を開示したところ、小学校名は「開成小学校」だった。 首相は「(朝日の)報道を基に質問していた皆さんも謙虚になってほしい」と野党議員に訴えた。

安倍晋三首相が朝日新聞を批判、籠池氏発言を「うのみにした」

こんな記事を書いた産経新聞も誤報を出して謝罪している。

産経新聞は「日本人男性を助けた米兵がその直後、車にはねられて意識不明の重体となった」と報道して、このことをまったく伝えなかった沖縄の二紙を非難する。

でも、これが違っていた。
それで産経新聞はおわびをして記事を削除している。

記事中にある「日本人を救助した」は確認できませんでした。

沖縄米兵の救出報道 おわびと削除

立て続けに起こったこの誤報騒ぎでも、「見たいものしか見えなかった」ということが背景にあったと思う。
朝日新聞は安倍首相に、産経新聞は沖縄の二紙に「ダメージを与えてやりたい」と思ったことがこんな誤報につながったのだろう。

でもこの場合は、「見たいと思ったものが本当に見えてしまった」という方が正しいかもしれない。

 

 

だれでも、人生のどこかでこんな失敗をする。

実際にはなかったことや存在しないものを、「事実だ」と思い込んでしまう。
そして、かん違いにもとづいて行動して、後からまわりに「おまえ、言ってることが違うじゃねえか!」と怒られる。

「信頼第一」で情報の信頼性には注意しているはずの新聞が、続けて誤報騒ぎを起こす。
こんなことはめずらしい。
「これはだれにでも起こり得る」というだから、新聞社に怒るだけでなくて、めったにない機会だから学んでみよう。
これを反面教師や他山の石にすればいい。

 

長い人生のなかで、一度や二度はこんな失敗をする。
株や仮想通貨で「もうけたい」と思って損をしてしまったケースには、「自分が見たいものしか見ない」「嫌な情報は見えなくなる」ということが根本的な原因だったことも多いと思う。

ブログを書くときも、「これはおもしろいネタだ!記事で書きたい!」と思ってしまうと、こんな失敗をしてしまう。

 

そうならないように、カエサルの言葉をおぼえておこう。

「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」

2000年以上前から語り継がれている言葉には学ぶことがある。

 

 

おまけ

「他山の石」という言葉の意味を誤解してませんか?
こんな使い方はNG。

「先生の生き方を他山の石として頑張っていきます」

他山の石という言葉は,「他人の間違った行為や失敗でも、自分の役に立つ」といった意味になる。
でも、世論調査をした結果、これを「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」とかん違いしている人が約20%もいた。

くわしいことは文化庁のホームページを見てください。

「他山の石」の意味

 

3 件のコメント

  • こんにちは
    ガンディーの暴動のすすめについてのコラムで共感してから度々拝見しております。ですので、あえてコメントさせていただきました。
    一つだけ、朝日新聞の誤報について擁護がしたかったのです。もしかしたらこれは調査報道だったのかもしれません。記者クラブから垂れ流される情報を発表するだけの新聞よりは、誤報のリスクを冒してでも調査報道をするほうが私はメディアとしてあるべき姿だと思っているので、一概に誤報が悪いことだとは思えないのです。メディアが必ずしも正しくないことは本来当然のことであり、それを覚悟して情報を受け取るのも読者の責任ではないでしょうか。長々と失礼いたしました。

  • こちらこそ、こんにちは。
    この件については、いろいろ見方があるでしょうね。
    個人的には、「安倍晋三記念小学校と報じたけど、実際には開成小学校だった」というのはマズイと思います。

    >メディアが必ずしも正しくないことは本来当然のことであり
    これについては、「ジャーナリスト宣言」をした朝日新聞としては傷つくかもしれません。笑。
    でも、人間は神様じゃないから失敗はあると思います。
    他人はそれから学んで自分に役立てるといいでしょうね。

  • 三浦 淳(新潟大学人文学部)
    「外国では受容者=弟子としてペコペコし、逆に国内では輸入品を振りかざして啓蒙家=教師を気どる——これが明治(建国)以来、日本の二流知識人が一貫してとってきた行動様式だった。 同じ知識階級でも一流ならこういう莫迦な真似はしない。 日本の欠点は欠点として指摘し、しかし対外的にも言うべきは言う。 考えてみればそれは当然のことだが、この当り前のことが一番難しいのが日本の二流知識人なのである。」

    反捕鯨の病理学 (第1回)

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。