昨日、羽入選手やボルト選手の態度に”国際人の姿を見た”という記事を書いた。
内容を知らない人のために、簡単に紹介させてほしい。
平昌五輪で金メダルをとった羽生選手がインタビューを受けるとき、手にしていた日の丸を他人に渡してからインタビューに応じた。
日の丸を床に置くことができなかったから。
「するめのよっちゃん#沖縄は日本だ」のツイートにそのときの様子がある。
このわずかな瞬間に人柄が出る羽生結弦選手。
インタビューを受ける際、手荷物を下ろそうとして、「国旗、国旗だけ誰か、下に置くことはできないので。」と国旗に敬意を払う姿が今でも印象に残っています。見習うべき姿。
東京オリンピックを機に国、国旗、国歌を愛する普通の国になりたいですね。 pic.twitter.com/tkR6OypBTX— するめのよっちゃん#沖縄は日本だ (@surumegesogeso) 2018年2月17日
羽生選手のこの姿は”世界最速の男”ウサイン・ボルト選手に重なる。
2012年のロンドンオリンピックで、インタビューを受けていたボルト選手は一度それを中断した。
アメリカの国歌が流れているのが聞こえたから。
ボルト選手は話をやめて、女性インタビュアーに一緒に国歌を聴くようにうながす。
s h i nのツイッターから。
走り終えインタビューを受けている最中にインタビューを止めて、他の選手の国歌斉唱をきちんと聞くボルト選手は真のスポーツマンであり世界一の理由か pic.twitter.com/VjkDOuyU2E
— s h i n (@s_n_y_85) 2016年8月22日
ジャマイカ人のボルト選手がアメリカ国歌に敬意をしめす。
・This man embodies the spirit of the Olympics.
(この男はオリンピック精神そのものだ)
・He’s a true international sportsman.
(彼は本当の国際的なスポーツマンだ)
世界中の人たちがボルト選手の態度を称賛した。
羽生選手やボルト選手のように「国旗や国歌に敬意をしめす」ということは、国際人にとって重要な要素だ。
でも残念ながら、こんな羽生選手やボルト選手とは正反対の人たちもいる。
今回はそのことを書いていこうと思う。
今日は2月18日。
もうすぐ卒業式だ。
いま日本中の学校で、その準備がおこなわれているはず。
ひと昔前の日本では、この時期になるとやっかいなことが起きていた。
教員のなかには、日本の国旗や国歌が気に入らない人たちがいた。
数は減っているけれど、今でもいる。
2~30年前は、そうした教員が卒業式で国旗や国歌をなくそうとしていた。
・卒業式で日の丸を掲(かが)げさせない。
・君が代を歌わせない。
そんなことをおこなう教員がいた。
「学校の卒業式で国旗をかかげて国歌を流すことをどう思うか?」
これをいろいろな外国人に聞いたことがある。
アメリカ人、イギリス人、フランス人、タイ人、ミャンマー人、インド人、中国人、韓国人など全ての外国人がそれを「常識」と考えていた。
むしろ外国人には、これに反対する理由が分からない。
でも日本の学校には、国際人としてあたり前のことを認めない教員がいた。
なかには卒業式のときに、国旗を強引に引きずり下ろす教員がいたという話を聞いたこともある。
1999年(平成11年)に事件が起きた。
卒業式で国旗をかかげて国歌を歌おうとした広島の校長が自殺してしまう。
卒業式の前日に、「何が正しいのか分からない。自分の選ぶ道がどこにもない」という遺書を残して自宅で自ら命を絶った。
このときは、校長が自殺した原因についていろいろ言われていたけれど、今ではこのことがはっきり分かっている。
地方公務員災害補償基金広島県支部は、校長の自殺を教職員の執拗な抵抗に追い込められたことが要因であるとし、2006年に公務災害に認定した。
国旗や国歌に反対する教員に追い込められたことが大きな原因だった。
この悲劇がきっかけとなって「国旗・国歌法」が成立する。
「君が代を起立して斉唱することは良心が許さない」といったことを理由に、卒業式での国旗や国歌に反対していた教員もいた。
でもその主張は、2011年に最高裁判所の判決によって否定されている。
校長がそれを教員に命じても憲法に違反しない、ということが認められた。
この最高裁の判決を受けて、読売新聞は社説「君が代起立命令 最高裁の「合憲」判断は当然だ(2011年5月31日)」でこう書いている。
妥当な判断である。この判決を機に、教育現場で長く続いている国旗・国歌を巡る処分や訴訟などの混乱に終止符を打つべきだ。
君が代の斉唱は、学校の式典などで広く慣例的に行われている。教師は生徒に国旗・国歌を尊重する態度を教え、自らその手本を示す立場にある。
このときから7年がたったいま、教育現場での混乱はかなり減っている。
卒業式で国旗をかかげて国歌を歌うのはあたり前のこと。
ひと昔前の卒業式と比べると、日本人の意識が大きく変わっている。
オリンピックやワールドカップで世界の人たちを見て、「国旗・国歌を尊重する態度」を学んでいるように思う。
広島の校長先生も今の日本で校長をしていれば、気持ち良く卒業式をむかえられたはず。
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