日本を揺るがした二人のアメリカ人
今回の登場人物は、日本を大きく変えた二人のアメリカ人だ。
幕末に来日したペリーと、戦後直後にやってきたマッカーサーは、その後の日本社会を激変させた。
時間的には100年ほどのズレがあるが、マッカーサーは「先輩」であるペリーを意識していた。
ペリー来航の「衝撃」
江戸幕府の「鎖国政策」をガン無視して、1853年に艦隊を率いて、神奈川の浦賀沖に現れたペリー。
当時の日本人は、突然の彼の登場に度肝を抜かれた。
一方で彼は、日本人を見てこんな感想を持った。
「文明世界の技能を手に入れたなら、日本は将来、機械工業の成功を目指す強力な競争国となるだろう」
「彼らは学問及び一般の知識においても、決してそのしとやかな態度や優しい気質に劣っていなかった。彼らは育ちが良いばかりではなくて教育も悪くなく、日本語はもちろん、オランダ語、シナ語にも上達し、科学のあらましにも世界地理にも通じていた」
「日本人のとんでもない好奇心には驚かされる。わが国の独創的な発明品の数々を見せると、彼らはあの手この手で飽くなき好奇心を満足させようとした」
ペリーは実際の日本人の言動を見て称賛していたのだ。逆に考えたら、彼は日本人をかなり低く考えていたかもしれなかったが。
ここであらためて、ペリーがしたことを簡単に確認しておこう。
・日本側にアメリカの国書をわたして、一度アメリカに戻る。
・翌年1854年に、ふたたび日本にやって来て日米和親条約を結んだ。日本は「鎖国」をやめて、下田と箱館の港を開く。
ちなみに、彼は「サスケハナ号」という蒸気軍艦に乗っていた。
これは日本語のような響きだが、まったく関係はない。
「サスケハナ」とはアメリカ原住民の言葉で、「広く深い川」という意味になる。

1854年ごろ、日本の版画に描かれたペリー
下が実際のペリー

マッカーサーと戦後日本の再設計
ペリー来航の92年後、日本にこの男がやってきた。

アメリカの軍人で連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサーだ。
ペリーは海から来たけれど、マッカーサーは「バターン号」という飛行機に乗って空から降りてきた。
この「バターン」という名称は、太平洋戦争中のフィリピンでおこなわれたバターン半島での戦いにちなむらしい。
多くのアメリカ人捕虜が亡くなった「バターン死の行進」をアメリカ人は深く恨みに思っていた。

当時の日本は完全にマッカーサーの支配下にあった。
天皇と政府の統治権さえ実質的に彼の管理下にあり、マッカーサーは自分の思いどおりに権力を行使できる立場にいた。
アメリカ側は、日本は「無条件降伏」したと考えていたから、マッカーサーに逆らう者はなく、彼の権力は最高のものであるとされていた。
マッカーサーの側近のウィリアム・ジョセフ・シーボルドは、日本におけるマッカーサーの権限の大きさを次のように表現した。
「物凄い権力だった。アメリカ史上、一人の手にこれほど巨大で絶対的な権力が握られた例はなかった。」
このときアメリカが日本を変えた象徴に日本国憲法がある。
マッカーサーは日本を「戦争させない国」にするため、この国を根本から変えたのだ。
くわしいことは政策を見てほしい。
しかし、当時の日本人が奴隷のようにアメリカに従っていたわけではない。
アメリカ側は当初、漢字を廃止しようとしたが、日本人の抵抗を受けてその方針を撤回した。
くわしいことはこの記事をどうぞ。

日本は戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印した。
礼服を着て、頭を下げているのが重光葵(しげみつ まもる)外務大臣。
「第二のペリー」となったマッカーサー
このとき戦艦ミズーリには、こんな星条旗(アメリカ国旗)が掲げられていた。

この古びた星条旗は、実はペリーが来日したときに彼の船に掲げられていたものだ。
マッカーサーはこの日のために、わざわざアメリカからこの星条旗を運ばせていたのだ。
彼がは自分とペリーを重ね、降伏する日本人にこの旗を見せつけたとみて間違いない。

マッカーサーはペリーのように日本を開国させ、徹底的に変えて、別の国に生まれ変わらせようと本気で考えていたはずだ。
その思いは以下の演説からわかる。
※上の画像と下の文は『NHK 映像の世紀 ジャパン』から。
私たちは今、92年前の同胞ペリー提督と同じ立場にいる。
ペリー提督の目的は、日本に英知と進歩の時代をもたらし、世界の友情と貿易と通商に向かって孤立のベールを取り払うことであった。しかし恐ろしいことに、日本は開国によって、西洋の科学から得た知識を利用し、迷信と武力に訴えることによって、言論の自由、さらには思想の自由までも否定したのである。
私の目的は、ふたたび日本民族のエネルギーと才能を建設的な面に向けることだ。
私たちの指導によって、この国は現在のみじめな状況から立ち上がり、尊厳に満ちた地位を獲得することができる。
マッカーサーは日本人を「12歳の子ども」と言った。
英語の「ティーンエイジャー(Teenager)」は日本語の「10代」とはちがい、13歳から上をさす。
彼の目に日本人は、ティーンエージャー以下の本当に未熟な子どもに見えたのだろう。
日本の歴史を見ると、彼の来日の前後で日本の社会は一変したことがわかる。
ペリーは「開国」を、マッカーサーは「戦後改革」をもたらした。
海から来たアメリカ人と、空から来たアメリカ人によって、日本の制度と方向性は大きく変わった。
その前後で日本が「別の国」になったことを考えると、日本人にとってこの二人の登場は「サード・インパクト」のような大きな衝撃だった。
別の言い方をすれば、日本は昔から「外圧」に弱いのかもしれない。
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