前回の記事で書いたように、食文化がちがったら、日本人にとしては善意で提供したごぼうが外国人には虐待になることもある。
日本人と外国人では価値観や立場がちがうから、同じことでもまったく別に見えることはある。
「食」につづいて取り上げるのは歴史認識だ。
歴史認識といえば、日本と韓国は鏡の国同士だから左右反対に見えることがよくある。
伊藤博文を暗殺した安重根は、日本ではテロリストだけど、韓国では「義士」として尊敬されている。
このちがいは埋まらない。
どちらかが正義を叫んで、相手を自分の見方にしたがわせようとしてもケンカになるだけだから、違いは違いとして認め合うしかないのだ。
歴史認識では前にアメリカ人とも壁を感じたことがある。
米軍が広島・長崎におこなった原爆投下は合わせて20万人を超える犠牲者をだしたと言われていて、日本にとっては歴史上、最大の悲劇だ。
日本ではこれを「虐殺」と呼ぶ人もいるけど、アメリカはこれまで原爆投下について一度も謝罪したことがない。
知り合いのアメリカ人(20代の黒人女性)にアメリカ側の認識を聞くと、向こうでもいろんな議論はあるけど「多くの死者を出したが、やむを得ない選択だった。アメリカが謝罪することではない」という認識が多いだろうと言う。
もしそれをしなかったら、戦争が続いてさらに多くの人が死んだだろうし、戦争を早く終わらせるためにはあの一撃が必要だった、というのがそのアメリカ人の意見。
たしかにこれはアメリカでは一般的な見方だとおもう。
元陸軍長官のスティムソンの論文にはこうある。
戦争の早期終結のために原子爆弾の使用は有効であったとの説明がなされており、この論文は原爆投下を妥当であったとするアメリカ政府の公式解釈を形成する上で重要な役割を果たしている。
原爆投下については「とても不幸な出来事だったけど、アメリカが謝る問題ではない」と言い切ったアメリカ人が、「それは言い訳の余地がなく、アメリカが悪い。謝罪するのは当然だ」と全面的に認めたのが日本人や日系人の強制収容だった。
*上の写真はマンザナー強制収容所
太平洋戦争中、アメリカ国内にいた約12万人の日本人・日系人は「敵性外国人」として強制連行されて各地の収容所に入れられた。
当時、敵国だったドイツ人やイタリア人に比べて、アメリカは日本人に対しては強い憎悪や敵意があって、人種差別的な扱いをしていた。
在米ドイツ人やイタリア人の収容者は短期間で釈放されたが、日系、日本人の収容は長期におよび、不動産や自動車などの私有財産を含む全ての財産の放棄や売却を余儀なくされた。
1988年にレーガン大統領はこの非を認めて謝罪する。
アメリカ政府が日系アメリカ人に公式に謝罪したのはこのときが初めてで、強制収容された人には2万ドルの賠償金が支払われた。
原爆投下については謝罪する必要は一切ないと言っていたアメリカ人も、これについては一切の弁明は許されず、アメリカ政府は完全に対応を誤ったとして謝罪と賠償は当然のことと考えていた。
個人的にはこれが意外。
原爆投下と強制収容のどちらが悪いか(誤った選択か)を日本人にアンケート調査したら、ほとんどの人が原爆投下を選ぶとおもう。
敵性外国人を一か所に集めて監視することも、「戦時中なら仕方ない」とむしろアメリカ側に理解を示しちゃう人は多い気がする。
でもこのアメリカ人に言わせると、日系人への対応はアメリカが大事にする自由や権利といった価値観に反しているから、アメリカ政府の非については議論の余地はない。
これもそのアメリカ人の意見だけど、アメリカ政府が日本人や日系人を強制連行して収容所に入れたのは、ナチスがユダヤ人にしたことと同じ。
*写真上が日本人・日系人で、下がユダヤ人。
もちろんナチスのように虐殺はしていないけど、人種差別に基づく不当な行為ではある。
それに対して原爆投下は人種差別思想によるものではない。(直接的には)
このアメリカ人のポイントは国家として人種差別的な政策をしたかどうか、アメリカがアメリカの価値観を否定したかどうかだ。
収容所へ送られる子供たちと閉店したクリーニング店
マンザナー強制収容所のトイレは、ナチスの強制収容所のトイレとよく似ている。
画像:Photographer
「これについては一切の弁明は許されない」と知人のアメリカが言った通りで、アメリカでは政府が謝罪したあとも、いまでもこのことへの謝罪をくり返している。
共同通信社の記事(2020/02/21)
約12万人の日系人が強制収容されたことについて、日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を満場一致で可決した。
日系人強制収容を公式謝罪 米カリフォルニア州議会が決議
原爆投下については一切の謝罪を拒否する態度とは正反対だ。
もちろんそれを求める日本人なんて、ほとんどいないだろうけど。
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この「原爆投下」と「強制収容所」に対する米国人の見解は、大多数の日本人にはとても違和感があることです。でも、米国人の基本的な考え方:自由と独立は戦いの結果として勝ち取るものである、つまり、以下のような考えが根本にあることを思い起こせば納得できるかも。
1.何らかの対立が原因で戦争(殺し合い)となってしまう場合も時にはある、そのことはやむを得ない。
2.たとえ戦争になっても自国の自由と独立を守ることは国民としての義務である、その時は全力を尽くせ。
3.しかしそれでも人間の自由を奪うことは(キリスト教的な)基本的人権に反する大きな罪である。
したがって、彼らは日本人のように国家組織にあまり期待はしていません。自分の自由と独立は(人生と同じく)自分で戦って切り開き守っていくべきであると。米国の根本には、今でも、フロンティア精神と進取の気性が強く根付いていると思います。
私も違和感がありました。
日本人なら原爆投下のほうがより大きな悪と考えるでしょう。
でも、いまでも護身用に銃の所持が認めてられている国ですし、日本とは価値観が合わない部分も大きいです。
アメリカではこの考え方が常識、というだけで、内心では原爆投下は民間人虐殺と認識してる人もアメリカ人には多いと思う。どんな国でも政治的な物には同調圧力がありますから、それまでと異なる意見は出しにくいんだと思いますね。
そういう人もいると思います。
でもあれは仕方のない選択肢だったと考える人は多そうですが。