「たまごボーロ」というお菓子がある。
こいつ↓
これを食べるとボロボロと崩れることから、「ボーロ」と言われるようになった。
・・・ということではなくて、「ボーロ」とはポルトガル語で広くお菓子のことを指すらしい。
ボクも子どものころにはよく食べていた。
おいしいから。
最近、そのおいしさのワケを知った。
たまごボーロのおいしさの秘密は、「ありがとう」という言葉にあるという。
このお菓子をつくっている「竹田本社」のホームページにはこう書いてある。
特に良質の原材料にこだわり、
ありがとうを100万回入れて製造しております。
「ありがとう」という言葉を、製造過程にあるたまごボーロに100万回聞かせる。
これがおいしさの理由だった!
では、その様子を見てほしい。
Japan News and Discussion の動画から。
会社の気持ちとは裏腹に、「100万回のありがとう注入」に対して、ネットでは賛否が分かれている。
「否」の人たち。
・なにそれ怖い
・動画やばすぎ。
・仕事がオフの日に、人から「ありがとう」といわれたら
うわあああってなりそう
・味しくなーれ美味しくなーれ
コーヒー「…」
・一日中同じ音楽でもおかしくなるのにこれはヤバい
・なんとなくの予想だけど、ありがとうって聞かせなくても味は一緒じゃないかな?
「賛」の人たち。
・何の食べ物か忘れたが、オーブンに入れてる間にクラシックを聴かせてた店もあったな
テレビでやってたわ
・普通にいい話だと思うけど。
・こういうの批判する人増えたよな。
全てに感謝するのは日本人の美徳じゃん。
・おめでとうだとどんな味になるかな
うすうす気づいていると思うけど、実際には「賛否」の「否」のほうが圧倒的に多かった。
これも考え方は同じか?
「『ありがとう』という言葉をくり返しかければ、そのお菓子はおいしくなる」
これはきっと、日本人がずっと昔から信じてきた「言霊(ことだま)」という考え方によるものじゃないか?
言霊とは、辞書的にはこんな意味。
こと‐だま【言霊】
古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。
デジタル大辞泉の解説
言葉には不思議なパワーがある。
だから人間が言葉を唱えたら、その霊力によって言ったことが現実になる。
日本にはこういう言霊信仰があった。
たから「こうなってほしい!」ということがあったら、日本人はそのための言葉を積極的に言って、言霊をはたらかせようとした。
同時に、「こんなことは起きてほしくない」と考えたら、そういう言葉はなるべく使わないようにした。
こんな考え方はいまの日本人にもある。
「自分はできる!」と積極的な言葉を言っていると、実際に元気が出たり前向きに考えられたりする。
「絶対ダメ。自分にはムリ」と消極的なことを言っていると、やる気がなくなってしまう。
これも、「言葉には霊力がある」という言霊のせいだ。
たぶんね。
おいしいお菓子をつくるために、「ありがとう」を100万回言うことはいい。
でも、その考え方を平和に当てはめてはいけない。
世界が平和になるために、「平和、平和」と何度も言う。
でも、言ってるだけ。
「平和という言葉を口にすれば、その言葉に宿る霊力がはたらいて、世界は平和になる!」ということを信じているような人が、ひと昔前の日本にはたくさんいた。
「平和、平和」と言っていれば、本当に平和になると信じる。
それはまるで「南無阿弥陀仏」と何度も言えば、極楽浄土に行けると信じているようなもの。
そんな空想的な平和主義者を皮肉って、作家の司馬遼太郎氏は「念仏平和主義(ねんぶつへいわしゅぎ)」と言った。
「風塵抄」という本にそのことが書いてある。
平和とは神や仏の世界のことではない。
人間が生きるこの世のことだから、「平和、平和」と念仏のように唱えていても、平和は維持できないという。
きれいなことを言ったりやったりしているだけではダメ。
平和を実現・維持するときには、相手を脅したりずる賢く計算したりする必要もあると書く。
平和維持にはしばしば犯罪まがいのおどしや、商人が利を逐うような懸命の奔走も要る。さらには複雑な方法や計算を積みかさねるために、奸悪の評判までとりかねないものである
「風塵抄 (司馬遼太郎)」
念仏平和主義もひとつの言霊信仰だ。
平和を願うから、平和を何度も唱える。
「悪いことは起きてほしくない」と考えるから、戦争や軍隊という言葉はなるべく使わない。
今でもこんなことを信じている日本人はいるだろう。
神や仏の世界ではなく、人間の世界では、国民の生命や財産を守るためには軍隊が必要だ。
そのことは、言霊信仰がなく念仏平和主義でもない外国人に聞いたらよく分かる。
今までにアメリカ人・エジプト人・韓国人・タイ人・インド人など、いろいろな外国人に話を聞いてきたけれど、「軍隊はなくてはならない」と皆が口をそろえる。
平和を維持するためには、自国を守るための軍事力は絶対に必要だと言う。
きれいなことを言っているだけでは、平和は守れない。
とはいえ、「平和と言うことには価値がない」ということではない。
子どもなら、そう言うだけでいい。
でも、大人がそう言っていることに満足して、思考停止になってはいけない。
つい最近、米英仏軍がシリアに空爆をおこなった。
米英仏は、アサド政権が化学兵器を使って市民を虐殺したと主張する。
トランプ大統領は「人間のやることではない。むしろ、化け物による犯罪だ」とシリアのアサド政権を強く非難した。
この空爆に対しては、世界でも賛否が分かれている。
ドイツのメルケル首相は「適切な措置だ」と米英仏を支持した。
中国・イラン・ロシアなどは、この攻撃を「するべきではなかった」と批判している。
日本の新聞を見ても反応は分かれている。
朝日新聞は社説で空爆を否定した。
問題解決への展望を欠く無責任な武力行使である。長い内戦の混迷を、大国の軽率な行動でさらに悪化させかねない。
シリア攻撃 無責任な武力行使だ
読売新聞は賛成の側に立っている。
国際規範に背く蛮行は放置できない。米英仏の攻撃は、核のみならず、化学兵器の開発も続け、シリアに技術提供をしているとされる北朝鮮への警告となろう。
対シリア攻撃 アサド政権の蛮行を阻めるか
これを機会に、平和というものについて考えてみてはどうだろう?
この空爆に対して、賛成・反対はあるけれど、絶対に正しい正解はない。
だから、どちらの側についてもかまわない。
でも、「平和・平和」と言うだけの念仏平和主義ではいけない。
言霊を信じてもいけない。
100万回言って変わるのは、たまごボーロだけ。
たまごボーロの話、面白く読ませてもらいました。この「ありがとう」は、実は社員に聞かせているのじゃないかと思います。あんなの聞かせられたら、作っている人は絶対手を抜けないじゃないですか。
本題の‘平和’については、その通りだと思います。願うだけなら誰でも出来る。そして、願うだけでは何も成し遂げられない。では誰が平和をもたらしてくれるのかな。
ps,いつも楽しく拝見させてもらっています。最近このブログに行き会って、最初のものから順次読ませてもらっています。自分自身海外とのつながりはあまり多くないので、とても面白く読んでいます。
たまごボーロの「ありがとう」の件は正直よく分かりません。笑。
想像を超えて過ぎていて。
おいしかったら、それでいいんですけど。
「平和、平和」と言うことはいいのですけど、そう言っていることで満足してはダメですね。
>いつも楽しく拝見させてもらっています。
ありがとうございます。
では、こちらもがんばらないといけませんね。
*もし、昔の記事で誤字などがあったら教えてください。