日本人なら知っとこ①元寇の神風・神国思想ってどんなの?

 

ちょうど一年前の今日(2017年5月22日:日本時間23日)、イギリスのマンチェスターで自爆テロがあった。

アリアナ・グランデさんのコンサートが終わった直後に起きたもので、犯人をふくむ観客ら23名が死亡、59名がけがを負う。
犠牲者には8歳の少女もいた。

この卑劣なテロを起こしたのは、過激派組織「イスラム国(IS)」とみられる。

*ふつうのイスラーム教徒は「イスラム国」という呼び方を嫌う。
そのことは、この記事を読んでくれなんし。

日本のイスラム教徒②お願い「”イスラム国”って呼ぶなし!!」

この自爆テロの詳細はここにありんす。

マンチェスター・アリーナに於ける爆発物事件

 

テロの犠牲者を追悼してマンチェスター市中心部に献花された花

 

でも、ここで書きたいことは、世界各地で起こる自爆テロのことじゃない。

その呼び方について、意義がありんす。

なんで自爆テロを「カミカゼ」と呼ぶのか?
欧米のメディアは自爆テロのことを、よく「カミカゼ」と言う。

だが待ってほしい。

卑怯な自爆テロと神風特攻隊はまったく違う。
でも欧米人はこれらを同じように見る。

だから日本では、この見方が問題視される。
一般のイスラーム教徒が、テロ集団を「イスラム国」と呼ばれることに違和感をおぼえるようなものだ。

いまの欧米では、「自爆テロ=カミカゼ」という認識は一般的。
ウィキペディアにはこう書いてある。

自爆テロ(じばくテロ、英:suicide terrorism、kamikaze)とは、犯人自身も死亡する事を前提としたテロリズムである。

自爆テロ

 

でも、kamikaze(カミカゼ)と自爆テロは違う。
kamikazeの攻撃で、8歳の少女が犠牲になった例はない。
日本の神風特攻隊は、市民の犠牲者を1人も出さなかった。

ということで今回と次回で、「神風と神国思想」と「カミカゼと自爆テロの違い」について書いてきたい。

 

 

欧米をふくめて、いまの世界で言われる「カミカゼ」とは、第二次世界大戦のときに日本軍が組織した神風特攻隊のこと。

でもここでは、日本史の勉強をかねて、この”神風思想の始まり”を見ていこう。
日本で「神風」という考え方がうまれたのは鎌倉時代。

13世紀に、モンゴル軍が2度にわたって日本に攻めてきやがった。
いわゆる元寇ですね。
*中学生は、元寇の「寇」と冠位十二階の「冠」を間違えないように。
「冠」は上に点がつかない。

 

「モンゴル、攻めてきたってよ」と知った朝廷や鎌倉幕府はプチパニック。
なんせモンゴル軍はメッチャ強いから。
すでに、朝鮮半島にあった高麗を打ち破っていた。

「モンゴル軍から日本を守るには、どうしたらいいか?」

「そうだ!米軍に守ってもらおう!」というのは現代の考え方。
鎌倉時代は「困ったときの神頼み」。

「神や仏の力で、日本をモンゴル軍から守ってもらおう!」と考えて、天皇(朝廷)は、日本中のお坊さんや神職に仏や神に日本の無事を祈らせる。

京都の御所では、公家や武士たちが般若心経を必死の思いで読んでいた。

亀山上皇は石清水八幡宮に行って、徹夜で日本の勝利を祈願する。
さらに亀山上皇は、「モンゴル軍が日本に降伏しますように」と願いを込めて、直筆でその文字を書いてお寺にかかげる。

こんな日本人の考え方を高校日本史で「神国思想」と習う。

神国思想

日本は神が守っているとの思想。
蒙古襲来の際、筑前筥崎〔八幡〕宮に亀山上皇宸筆の「敵国降伏」の扁額を掲げて祈願するなど、神仏加護の思想が高まり、「神風」が吹いて元船を覆滅したと信じられた。

「日本史用語集 (山川出版)」

モンゴル軍 vs 鎌倉武士

 

このときは、鎌倉武士の活躍と神風によって日本は守られた。

中国の歴史書「元史日本伝」には、「十万の衆、還るを得たる者三人のみ」とある。
「10万の兵のうち、中国に戻って来たのはたった3人」というのは大げさな表現だけど、モンゴル軍が大惨敗をしたことはたしか。

モンゴルは2回日本に攻めてきた(文永・弘安の役)のだけど、2回とも暴風雨が起きて、モンゴル軍に大損害をあたえた。

鎌倉時代の日本人は、これを偶然ではなく必然と考える。
日本中の人たちが神に祈ったことで、神が奇跡を起こしてくれた。
これで、「日本は神によって守られた国だ」と広く信じられるようになる。

ちなみに、「神風」とは神道の言葉。
「神の威力によって吹く強い風」という意味。

 

 

「神風・神国思想」は元寇の後も、日本人に影響をあたえていた。

明治時代(1876年)、「外国人から神聖な日本を守ろう!」と考えた人たちが神風連(しんぷうれん‐の‐らん

の乱を起こす。

神風連の乱

熊本に起こった反政府暴動。新政府の開明政策に不満を抱く旧士族太田黒伴雄らが結成した政治団体の神風連(敬神党)が、国粋主義を掲げて鎮台・県庁を襲撃、まもなく鎮圧された。

デジタル大辞泉の解説

 

この乱の翌年に、西郷隆盛による西南戦争が起きた。
明治政府に反旗をひるがえした神風連の乱が、西南戦争へとつながる。
西郷隆盛が「神風・神国思想」を持っていたのかは分からない。

とにかく、「日本は神が守っている」という神国思想はその後も日本に残り続け、太平洋戦争の「神風特攻隊」につながっていく。

次回、そのことと「自爆テロとカミカゼは違いますよ」ってことを書いていきます。

 

アメリカ軍の空母に突撃する神風特攻隊の特攻機

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。