「日本人は親切でやさしい」という外国人の評判は昔からある。
例えば1939年(昭和14年)に、コリン・ロスというドイツ人ジャーナリストが日本を訪れたときのこと。
彼は手記に日本人の印象をこう書いた。
日本の素朴な民衆は、全世界でもっとも友好的な民衆の一つだ。車が故障したときは、当然のように援助の手が差しのべられた。その際、謝礼を出そうとすると彼らはまるで侮辱されたかのように驚きの表情をあらわにして拒否した。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア (講談社学術文庫)」
日本にいるアメリカ人からも、こんな話を聞いたことがある。
自転車が壊れて困っていたら、道を歩いていた人が彼を自転車屋まで連れて行ってくれた。
店の人が自転車を直したあと、彼が代金を聞くと「大したことないから、それはいらない」と言う。
彼は信じられない思いだった。
日本人には、他人への思いやりや配慮がある。
とホルホルしたいところなんだけど「ただし、自分に面倒なことがない限り」という条件がつく。
自分がトラブルに巻き込まれそうだと感じたら、けっこう他人に冷たいと思う。
日本人は「義を見てせざるは勇無きなり」という部分に、欠けていないだろうか。
義(ぎ)を見(み)てせざるは勇(ゆう)無(な)きなり
《「論語」為政から》人としてなすべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである。
デジタル大辞泉の解説
「いまこうするべきではないか?」「この人は困っているんじゃないのか?」と思っても、自分がトラブルに巻き込まれそうだと、見て見ぬふりをしてしまう。
ボクをふくめて、日本人にはそんな冷たいところがあると思う。
今月6月8日に、31歳の男が「わいせつ目的略取と強制わいせつの容疑」で逮捕された。
その男の犯行はこうだ。
夜、道を歩いていた20代の女子大学生に「飲みに行こう」と声をかける。
その女子大学生は嫌がったのだけど、男に両腕や肩をつかまれて、無理やり男のマンションに連れて行かれた。
そこで、男に体を触られるなどのわいせつ行為を受けてしまう。
問題はその場所。
女性が声をかけられて男に連れて行かれたのは、都営浅草線新橋駅の近く。
そのとき、たくさんの人がその様子を見たのだけど、だれも助けようとしなかった。
読売新聞の記事(2018年06月10日)は、そんな態度を非難するように書いている。
女性は「やめてください」などと言って何度も手を振り払おうとしたが、男はしつこく腕などを引っ張ったという。周辺には多くの駅利用者がおり、女性を心配するように足を止める人もいたが、助ける人はいなかったという。
「女性連れ去り、周辺に多くの人いたが誰も助けず」
これを書いた記者が助けたかどうか分からないけど、ネット上ではこんな反応があった。
・まぁ恥を全て捨てて
助けてください!警察呼んで!と騒がないと他人からは判断できませんわ
知り合いじゃないんだから…
・見て見ぬ振りが本当に多いからなぁ
・俺も格闘技経験のある平均以上の体格もあるけど無闇にこういったトラブルには首を突っ込めないな。相手が何をしてくるかわからないし
・関わりたくないのはわかるけど、せめて警察に110番するぐらいは歩きながらでもしてやれよ。
お前ら、ほんとに冷たいな。
・下手に助けようとしたらこっちが痴漢扱いされて人生終了だから
・この前の新橋駅前で倒れた高校生たちも最初はなんかの撮影かと思われたみたいだなw
・やめてください →自分で対応できているので、助けは不要
たすけてください →自分で対応できず、助けを求めている
なかにはこんなコメントも。
・こないだ大人同士が電車内で喧嘩していたとき、みな見て見ぬ振りだった
まぁ、そこは関わってもろくなことないので、理解もできる
しかし、そこにだ、高校生の男の子が勇気を振り絞って、仲裁に入ったのだ
それでも周囲は見て見ぬ振り
いやいや、子供が絡んだ状況でも、知らん顔ってどんだけ腐ってんだよ
自分は駅員を呼びに行って仲裁してもらい、無事高校生も解放された
戻った時、自分の席は他の人に取られていた
自分がこの場にいたら、正直、どうしていたかは分からない。
痴話げんかか犯罪なのかの区別が明確に分からないと、動きにくい。
それでも、日本人は見て見ぬふりをして「義を見てせざるは勇無きなり」に欠けるということは、多くの日本人が思っているのではないか?
これは上のこととは別件。
日本人の女性が外国人を相手にする場合、自分が嫌なときは、しっかり強くはっきりと「NO!」を言ったほうがいい。
というのは、2017年に愛知県でこんなことがあったから。
23歳の日本人女性が電車に座っていると、44歳のブラジル人男性が隣に座ってくる。
そして女性にキスをしたり、女性の手をつかんで自分の下半身を触らせたりした。
このブラジル人は強制わいせつ罪で逮捕。
でも、名古屋地裁で行われた裁判では、そのブラジル人に無罪判決が出された。
その理由が読売新聞の記事(2017年09月06日)にある。
同意があったと男性が誤解したのは、女性が明確な抵抗を示しておらず、外国人の被告が遠回しな態度を理解できなかったためだと述べた。
「電車内で乗客女性にキス、ブラジル人男性に無罪」
女性が明確な抵抗を見せないと、外国人には通じない。
それでわいせつ行為をされても、「あなたのNOが弱かったから」と無罪判決が出されることがある。
まわりの人が助けてくれる場合もあるけど、面倒なことには関わりたくない日本人は多い。
だからそれは期待しないで、自分の身は自分で守ったほうがいい。
くわしいことは、この記事をどうぞ。
キスをされた日本人が悪い?外国との“文化の違い”で無罪にネット騒然。
ところで「こんなときこそ、me too!だろ」と思ってしまうのだけど、相手が自民党議員じゃなくて在日外国人だったらむずかしいかな。
新橋のケースも考えものだけど、2007年には、もっとヒドイことが起きた。
特急電車の中で女性が強姦されたのだけど、40人ほどいた乗客は全員見て見ぬふり。
犯行をとめる以前に、車掌や外部に通報する人は1人もいなかった。
次回、そのことを書いていきます。
コメント
コメント一覧 (1件)
マナーの悪い人間を注意しただけで「○○警察」とマスコミからばじぞうごんを浴びせられるよのなかだ。
人間にはいろいろな考えがあり、他人が注意するのはよくないそうだ。
他人を注意する人間は想像力にかけ、同調圧力によわく、ゆがんだ正義感の持ち主だそうだ。(そういう、メディアに限って自分たちと考えの違う人々を誹謗中傷しているのだが)
あるメディアに抗議したところ、トラブルになるから注意する人間はもんだいなんだそうだ。たとえ、その行動が原因でひとが死んでも。