「日本はどんな国?」
「日本の自慢はある?」
なんて外国人に聞かれたときは、「日本は平和な国ですよ」と答えていた。
「じゃ、何で日本はこんなに平和なんですか?」
と聞かれると、はっきりした答えが分からなくて困ってしまう。
それでも、「日本の平和」を考えたとき、大事なことは3つあると思う。
まずは、平和憲法とも呼ばれる憲法をもっていること。これによって、日本は戦後から今まで、外国の争いに巻き込まれずに済んできた。
あと二つは、これから書く天皇陛下のお言葉と自衛隊だ。
では、天皇陛下のお言葉について。
「日本は水と安全はタダ」という言葉が日本で流行ってから、もう40年以上たっている。
でも、この言葉は今も有効で、日本がどんな国かをよく表している。
水道代がかかるといっても、日本では飲み水はタダも同然だ。
外国のレストランで、ミネラル・ウォーターがオレンジ・ジュースと同じくらいの値段(2ドル:約250円)がするのを見ると、日本との違いを改めて感じる。日本のレストランで水がタダで「飲み放題」であることが、なんとありがたかったのか。
ボクは行ったことがないけれど、安心して水道水を飲むことができないのは、ヨーロッパでも同じらしい。
週刊文春(3月10日号)の「東京情報」というコラムに、こんなことが書いてある。
「日本では、水道水を問題なく飲むことができるが、西欧では考えられない。グラスに口をつける前に、どこから来た水なのか必ず確認する」
飲み水がタダなのは、いいことでとてもありがたい。
けれど、そのために、価値を感じられなくなってしまうことも確かだ。
インドネシアに住んでいる日本人と話をしたとき、その人がこんな話をした。
水を出しっぱなしで食器を洗っていたら、メイドのインドネシア人から「それは、やめた方がいいです。水がもったいないです」と言われてしまった。
「あんた、水を出しっぱなしにしないで。もったいない」と、戦争を体験した母親から言われたことを思い出し、同じことをインドネシア人のメイドからも言われてずい分驚いたらしい。
異国に暮らすその人にしてみれば、こういうときに、「水はタダ」という日本がぜい沢な国に感じるのだという。
「水と安全はタダ」の国だと、水のありがたみだけではなくて、平和や安全のありがたみも忘れがちになってしまう。
当たり前のことは、ふだんは誰も意識しない。
このことも、外国に行けば気づくことができる。
街中で買い物をしているとき、銃を持って防弾チョッキを着た軍人が当たり前のようにいるのを見ると、一瞬ギョッとする。と同時に、日本が平和で安全な国で良かったとつくづく感じる。
前に韓国旅行をしたときに、北朝鮮との国境に行くツアーに参加したことがある。実際に北朝鮮軍と向かい合っている韓国軍の兵士の姿を見ると、その緊迫した状況がよく伝わって来た。
そのツアーの帰りに、ガイドが英語でこんな話をしていた。
「ふだんの私にとっては、自由や平和はあまりに当たり前のことで、そのことについて考えることはありません。でも、ここに来るたびに、韓国の自由と平和は軍隊が守っているおかげだと気づかされるのです」
そのガイドの言葉に、バスの乗客からは拍手が起きた。
また、以前の記事で、韓国では毎月15日に、「民防衛」という軍事避難訓練が行われていると書いた。このようなものだ。
「この日、午後2時になるとソウルだけではなく韓国全国で警戒警報のサイレンとともに車両が統制され、人は待避所(テピソ)に退避しなければなりません。敵の攻撃を報せる警報サイレン(午後2時)が鳴り、1分間平坦音(エ~~~~ン)が鳴り響きます。車両はすべてストップ、人も大通りを歩いてはいけません!(ソウルナビより)」
この訓練は、韓国人に平和や自由のありがたさを改めて気づかせる機会になると思う。
と、思ったけれど、友人の韓国人に聞くと、案外そうでもないようだ。
彼女は、小学生や中学生のころに、軍事避難訓練をした記憶はあるけれど、この民防衛のことはよく知らなかった。実際は、その程度のものなのかもしれない。
日本での生活を考えてみた場合、戦争の悲惨さや平和のありがたみを実感させられる機会というのは、あまりない。
8月の原爆投下の日や終戦記念日の他は何があるのだろう。
テレビ番組では、「戦争の記憶を、決して風化させてはいけない」というけれど、ふだんは意識することがないから、どうしても遠い記憶になりがちだ。
そうなると、平和は、先ほどの日本人にとっての水のように当たり前のものになり、そのありがたみに気づかなくなってしまう。
荘子の言葉に、「魚は江湖(こうこ)を相忘(あいわす)る」というものがある。
「魚は陸にあげられると、水がない苦しさに、仲間の魚の口から出す泡を吸って呼吸する。しかし、彼らを揚子江や五湖に放せば、もう水ということを忘れてしまう。
(中国古典名言事典 講談社学術文庫)
水と平和は似ている。
それを失えば、死ぬほど苦しい思いをするが、あると当たり前になってしまって、その価値やときには、それがあることすら忘れてしまう。
だからこそ、ときどき、過去の戦争を振り返ってそのときの悲惨な生活を知り、現在の平和のありがたみを改めて思い知ることは、とても大事なことだ。
日本では、日本人にそのきっかけを提供しているのが天皇陛下だと思う。
昨年12月の誕生日には、このようなお言葉を述べられている。
「今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。この戦争においては,軍人以外の人々も含め,誠に多くの人命が失われました。平和であったならば,社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり,このことを考えると,非常に心が痛みます。(宮内庁HP)」
今自分たちが生きている毎日は、こうした人たちが生きたくても生きることができなかった毎日なのだと改めて思う。
また、今年1月にフィリピンに行かれたときは、このように述べられている。
「昨年私どもは,先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないことであり,この度の訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます(同)」
日本が平和を維持するためには、戦争を過去のものにさせないことや平和のありがたみに改めて気づくことが、とても大事なことだ。
そのための役割を天皇陛下がされているのだと思う。
ふだんは、明るく楽しく毎日を過ごしていても、たまには襟を正して話を聞いたり考えたりする日も必要だろう。その当たり前の日々が、これからも続いていくためにも。
ミャンマーに行ったときに感じたことだけれど、「日本人が決して忘れてはならないこと」は、確かにある。
今更ですが、その「日本人は水と平和を只だと思っている」言葉は「イザヤ・ベンダサン=山本七平」が作ったインチキ名言ですよ。
人口に膾炙しすぎた言葉ですが。
作者の国籍と言葉は関係ありません。