「日本人はNOが言えない国民だ」
なんていう指摘は数十年前からあった。
でも「それじゃダメだ。国際化の時代にそんなメンタルではやっていけない!」という人たちが現れて、1989年に「NOと言える日本」という本が出版された。
これは当時、日米で大きな話題になった。
この本は政治家の石原慎太郎氏とソニー会長の盛田昭夫氏による共著で、「日本人はもっと自分の考えを主張しろ」と訴えている。
石原のエッセイは、日本は尊重されるべき強国であり、アメリカと取引をする際に日本人は自分自身の権利や意見をより主張すべきであると論じている。
この本が出版されてから30年がたった。
でも日本人はな~んも変わっていない。
いまでも外国人はよくこんな不満を言う。
「日本人は言っていることと思っていることが違う」
「何を考えているのかわからない」
日本には以心伝心という精神文化があってだねえ。
でも外国人にこれはむずかしいか。
ただ平成の日本人は、少しはNOを言うことができるようになったらしい。
最近はサンフランシスコにノーを突きつけた。
サンフランシスコにノーを突きつけた、といっても正確に言うと、サンフランシスコの歴史わい曲にNOと言ったということ。
知ってる人は知っている。
去年2017年に、サンフランシスコ市が慰安婦像と碑を市の公共物に指定したことを。
そしてこれが大阪市との友好関係を壊してしまったことを。
このとき碑に書かれた文が日本で問題視された。
「性的に奴隷化された数十万の女性と少女の苦しみ」
「ほとんどが捕らわれの身のまま亡くなった」
こんな言葉が刻まれているのだれど、そんな事実は一度も確認されていない。
根拠はなにも見つかっていないのだ。
だから読売新聞は社説(2017年11月17日)で、「史実を歪曲(わいきょく)した内容だと言うほかない」と批判した。
サンフランシスコ市と姉妹都市だった大阪市がこれに困ってしまう。
事実をゆがめて日本を非難するサンフランシスコと友好関係を築いていけるか。
大阪市長の答えはNO。
吉村市長はサンフランシスコ市に、像と碑の撤去はしないまでも、せめて市の指定からは外すようお願いをする。
そうでなければ、このまま姉妹都市でいることは不可能だと伝えた。
でもサンフランシスコの返事はNO。
サンフランシスコの前市長は吉村大阪市長と会おうともしない。
会ってくれない相手と話し合いで解決できるはずない。
それでも大阪市長ねばる。
今年9月までに返事をくれるよう求めたけれど、結局サンフランシスコは返信すらしない。
これで姉妹都市関係は解消されてしまった。
「姉妹都市」という言葉をむなしくさせたのは、サンフランシスコ側の歴史わい曲と非礼にある。
だからしゃーない。
サンフランシスコ側は慰安婦についてこんな認識をしている。
大半の国際的歴史研究家によると、「慰安婦」とは、1930 年代から第二次世界大戦にわたる植民地期と 戦時に占領されたアジア・太平洋諸島で日本帝国軍に拉致されて、強制的に性的奴隷にされた 20 万人の 女性と少女を婉曲的に表するものである。
全文は大阪市が公表しているから、それを見てほしい。
サンフランシスコ市における慰安婦の碑または像の設置と女性と少女の人身取引をやめるようコミュニティに教育させることを支持する決議文(参考和訳)
「これで友好関係は無理っす」とすぐにわかる。
産経新聞は社説(2018.10.14)で、吉村市長の判断を全力で支持。
「奴隷化」という言葉を「とても認められるものではない」と否定。
「日本軍に性奴隷にされた数十万人の女性や少女」という言葉を、「史実の歪曲」で「許せない」と民意を反映している。
そして日本人の名誉を傷つける行為にノーと言う。
残念だが、姉妹都市である必要はない。慰安婦問題で妥協は一切、不要である。
海外に設置される慰安婦の像や碑は、日本をおとしめる目的を持ったものだ。反日世論を高め、日本と友好国の関係を動揺させる意図があろう。日本の安全保障にも悪影響をもたらしかねない。
「姉妹都市解消 慰安婦像で妥協は不要だ」
今回とは対照的なすばらしい例がドイツにある。
ドイツのフライブルク市にも慰安婦像を建てる計画があった。
でも、姉妹都市である松山市が働きかけたことで、この計画はストップされる。
当然、フライブルク市と松山市の友好はいまも続いている。
何を言ってもやっても許されるのが友だちではない。
間違ったことをしていたら、体を張って止めるのが友人ってやつだ。
一線を越えたらNOと言える関係でないと長続きはしない。
ノーと言えない日本人に、ここまでのノーを言わせるサンフランシスコさん、さすがです。
過激な表現もあるけど、これも率直な民意であることには変わらない。
大阪市とサンフランシスコ市の姉妹都市関係がなくなったといっても、民間での交流は自由にできる。
これからは政治抜きで市民同士の交流を楽しめばいい。
今回の一件で、サンフランシスコ全体を「敵対的都市」と思う必要はない。
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