15年ぐらい前、インドを抜けてパキスタンを旅行した。
当たり前のことだけど、パキスタンへ入るには入国審査を受けないといけない。
パキスタンのビザはあったから問題ないと思っていたけど、何が起こるか分からない。
インドネシアやカンボジアでは、ウイロウを要求されたし。いや、ワイロだった。
「パキスタンでも職員がワイロを要求するかも」と思ったら、まったく予想外のことが起きた。
日本のパスポートを見た職員が「ツナミの影響はどうだ?犠牲者がたくさんいたんだろう?」と聞いてくる。
とっさのことで目が点になった。
入国の目的や日数について質問されることはあっても、東日本大震災のことを聞かれるとは思わなかった。
しかもなぜパキスタンで。
「いまはだいぶ落ち着きました」と言うと、職員は「そうか。それは良かった。ツナミの映像を見て本当に恐ろしいと感じたよ」とフレンドリーな笑顔を見せる。
「治安の悪さで言えばパキスタンは横綱で、日本は体重計に乗っている入門前の力士みたいなもんですよ」という言葉は飲みこんで、サンキューと言ってパキスタンに入国した。
よく分からない入国審査だったけど、「ツナミ」という日本語は、もはや世界共通の言葉になっていることは実感した。
東日本大震災のあとインドやタイでも、いろいろな外国人から「ツナミ」という単語を聞いた。
ということで、これから波乱万丈、空前絶後、奇想天外なパキスタンの旅をお伝えするのはまたの機会にして、今回は「ツナミ」という言葉について書いていこうと思う。
「TSUNAMI」は、いつ誰がどうやって世界に伝えたのか?
7月3日は「ワンピース」のナミの誕生日。
そして今日11月5日は「世界津波の日」。
2015年に日本が提唱して、「世界津波の日」が国連総会で制定されたのだ。
この背景には、日本語の「ツナミ」が世界的な言葉になったことがあるはず。
ナミさんを世界に広めたのは日本人だけど、「TSUNAMI」を世界語にしたのは外国人。
それはシドモアというアメリカ人女性。
1896年(明治29年)に起きた明治三陸地震のレポートを「ナショナル ジオグラフィック」で発表したことがきっかけだ。
東日本大震災と同じように、このときも大津波が発生して、死者21,915人、行方不明者44人、負傷者4,398人という大惨事になった。
この惨状を目にしたシドモアはナショナルジオグラフィックでこう書いている。
「助かった住民の証言によると、高波が押し寄せる直前に、突然海の水が600メートル近くも沖へ向って後退したのだそうだ。その後、波が高さ24メートルはあろうかという真っ黒い壁に変身し、打ち付けるように岸に向かって襲いかかってきた」
「かなりの数の船が陸地に打ち上げられ、中には2キロ以上も内陸へ運ばれたものもあった。海面からあまり高くない海辺の土地では、高波が引いた後、ほとんど何も残らなかった」
明治三陸地震の津波で、水に浸かった家屋
きょうは「世界津波の日」ということで、産経新聞が社説で取り上げていた。
この日は幕末(1854年)の安政南海地震に由来する。
このとき津波からたくさんの人を救ったといわれる「稲むらの火」の話から、この日が世界津波の日になったという。
「稲村の火」は大ざっぱに書くとこんな話だ。
安政南海地震で大地の揺れを感じたあと、高台にいた五兵衛は海水が沖へ退いていくのを見る。
*「突然海の水が600メートル近くも沖へ向って後退したのだそうだ」と同じ。
「津波が来る!」と感じた五兵衛は、刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に火を点けた。
高台で炎が上がっているのを見た村人は、消火のためにそこに駆け上がる。
そしてそのあと、村が津波に飲み込まれるのを高台から見ることになった。
五兵衛のとっさの判断で、村人たちは津波から守られたのでした。めでたしめでたし。
というお話。
そんな稲村亜美が野球少年に囲まれた話のあと、ではなくて、「稲むらの火」の話のあと、産経新聞は「TSUNAMI」という言葉が世界デビューしたきっかけを書いている。
教科書に掲載された「稲むらの火」の原作は、「TSUNAMI」を世界に紹介したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「リビング・ゴッド」という英語の小説である。
世界津波の日 学び伝えたい稲むらの火
そうそう。
シドモアがナショナルジオグラフィックに寄稿したことが…、って全然ちがうぞ。
どういうことだ?
ちなみに「津波(浪)」という言葉が日本で初めて文献に現れたのは、「駿府記」といわれている。
1611年に発生した慶長三陸地震について、「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」という記述がある。
さて、「ツナミ」だ。
調べてみたら、「TSUNAMI」という英語が初めて使われたのは、さっきのシドモアの記事で合っている。
でも、「TSUNAMI」という言葉が一般的に広まったのは、産経新聞のいうラフカディオ・ハーンの作品「生き神様(A Living God)」からだった。
シドモアのレポートは1896年で、ラフカディオ・ハーンの作品は1897年。
両方とも明治三陸地震津波のことを書いている。
「生き神様」のモデルは、稲村の火に出てくる五兵衛だ。
「ツナミ」という言葉を最初に書いたのはシドモア。
だけど、世界の人が知るきっかけとなったのは、ラフカディオ・ハーンの作品だった。
そういうことらしい。
つまり、シドモアの記事はあまり人の目には触れられなかったけど、ハーンの作品は多くの人に読まれたということ。
初めてアメリカ大陸を「発見」したのは10世紀のレイフ・エリクソンだけど、初めてアメリカ大陸をヨーロッパに伝えたのは1492年のコロンブスだった、みたいな。
レイフ・エリクソン
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