はじめのことば
「雪の少し積もってある岩の間に小さな草の生えて居る所があります。飢えたる時は食を択ばずではない。渇したる時は水を択ばずというような訳でその草を引き抜いて根を噛んでみたところがごく酸っぱいです。それからその根を噛みつつ蕎麦ぼ焼パンを喰いました。(チベット旅行記一 河口慧海)」
ボクが尊敬する「バックパッカー」河口慧海
河口慧海
1866~1945 仏教学者・探検家。
1900年、密入国して日本人として初めてチベットのラサに入る。チベット仏教紹介は世界的な業績とされる。「日本史用語集 山川出版」
インドを旅してきたところで、帰国すれば、元の人。というか大学生。
以前とまったく同じ毎日を過ごしていた。 けれど、少しずつ変化があらわれた。 まずは、ささやかだけれど、自分に自信がついた。
「インド一人旅」というのは、JRの乗り換えにすら失敗していた当時の自分にとっては大冒険だ。 インドから「生還できた」ということから、周りから「すごいね!」なんていううれしい言葉をいただくこともあった。
正直、褒められることにあまり免疫がなかった。
だから、そんなことを言われているうちに、「意外と自分はやればできるんじゃないか?」という、ちょっとした自信が出てきた。
ボクがしたインド一人旅は普通のバックパッカーと同じ。
日本とその国の往復チケットだけを手配して、後は、現地で何とかするというもの。
移動ではバスや列車を使っていたし、汚いながらも宿に泊まってもいた。だから、インドを自転車で周って野宿するという強者にはとてもかなわない。
「インドを一人旅できたら、たいていの国はいけるだろう」といういい加減な自信に、もとからもっていた好奇心が加わり、「もっといろいろな国を見たい、知りたい」という旅行熱が、ますます高くまっていく。
もう、旅なしの生活は考えられなくなった。
「中東にも行ったの?すごいね」などと、周りからちやほやされているうちに、さらに「難易度」が高い国を目指すようになっていった。 おだてられた豚は、本当に木に登るのだ!
インドにいたころは、「自分が変わった」なんてまったく思わなかった。 自覚はなかったのだけれど、旅行中にも、インドの影響を確実に受けて続けていて、帰国後、それが少しずつ表面化してきたように思う。 「変化はない」と思っていたけど、どうやら、「潜伏期間」だったみたいだ。
インドで受けた刺激が元から自分にあった好奇心を呼び起こす。
さらに、「自分は一人でも、大抵の国を旅することができる」という自信も手伝って、休みのたびに外国を旅するようになった。
ボクが尊敬している旅人で、「松尾芭蕉」がいる。
中学校で「奥の細道」を習った記憶は、誰でもあるでしょ。
「ベタ」だけど、あの始まりが好き。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。
あとこの句も。
「夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと)」
中国の詩人「杜甫」のこの詩もいい。
「国破れて山河在り 国家(唐の国都当時は長安)は崩壊してしまったが、山や河は変わらず」(ウィキペディア)
アンコールワットやアユタヤの遺跡を見ると、まさにこんな情感が湧いてくる。
そういえば、前に面白いアンケートがあった。
旅行サイトで、旅人といえば誰を思い浮かべますか?」というアンケートを行った。
このとき、一位に輝いたのが松尾芭蕉。
ちなみに、二位がスナフキンで、三位に元サッカー日本代表の中田英寿。
質問を聞かないで、この3人を見たら、どんな質問かがよく分からない。
1位と2位に関しては、もう彼らを越える旅人が日本に現れることはないだろう。
「日本で最高の旅人」である松尾芭蕉は、道祖神(どうそじん)の招きにあって旅に出た。
けれど、ボクの場合は、「ゆかし」や「るるぶ」という好奇心に押されて海外に出て行くことになった。
その後も旅を続けることで、パスポートに入国スタンプは増え続け、気がつけば、今までに東南アジア、東アジア、南アジア、中東、西アフリカの26の国や地域を旅してきた。
日本にいても「日本人にはない刺激」を求めて、市内の国際交流イベントに行っては外国人に声をかけて一緒に遊びに行くようになった。
ボクの場合、インドでの旅が直接自分を変えてはいない。
インドでの刺激がきっかけとなって、好奇心のおもむくままに行動することで、自分の考え方や生活が大きく変わっていった。
あくまで、自分が自分を変えていったと思っている。
まあ、仕事を変えるような大きな変化じゃないけどね。
趣味の世界が広がって楽しみが増えた、という程度の変化。
パソコン音痴の自分がこうしてブログを書いていることも、その変化のその一つ。
今までの旅の経験やさまざまな国籍の人たちから聞いた話、本を読んで得た知識が誰かの役に立つかもしれない、と思ったことがきっかけ。
アクセスは少ないけどね。
海外に旅に出る人の多くは、自分の何かを変えたいという気持ちを少なからずもっていると思う。
旅といっても、「るるぶ」という気分転換のようなものから「人生をリセットする」というシリアスなものまである。
でもどんな旅でも、毎日の生活や自分など何かを変えようとする思いはあるんじゃないかな?
「自分や生活を変えたい」と思った時点で、そう思わなかったときよりは、確実に変わっている。
そうでなかったら、旅に何十万円というお金や何日、何十日という貴重な時間はかけられないはず。
実際、旅には、それだけの労力、時間、お金をかけるに値するものがある。
何回も海外に行っていると、海外留学をしていた人や世界一周をしている人から話を聞く機会が何度もある。
ここまで時間と労力とお金をかける人たちからは、「自分を変えたい」という気持ちを強く感じる。
「したいな」「しようかな」と思っている人と、実際にした人の間には、やはり、大きな壁がある。
強く願ったり何度も思ったりしても意味はなく、小さくても行動に移さなければ始まらない。
留学や世界一周をする人たちは、それなりの覚悟と決意をもつことで壁を越えて、「思う人」から「動く人」になっているように思う。
そうした人たちの話をよくよく聞いていると、そんな大きいことの始まりも、「見たい、知りたい」といった素朴な好奇心であるように感じる。
その小さな好奇心が「自分の価値観や生活、人生を変えたい」といった大きな思いにつながり、重いバッグを背負って国外に出て行く行動力になっている。
今まで旅先で出会った人たちから、そうしたことをよく感じる。
強く願ったり何度も思ったりしても意味はなく、小さくても行動に移さなければ始まらない。
いい言葉です。私も見習います。
その言葉が何かのお役に立ったらすごく嬉しいです。
ことを始めるために最も無意味なのが、「決意を新たにする」だそうです。
それで何かをやった気分になるだけで、実際に行動しなかったら意味はないですから。
通学路や通勤路を変えるとか、小さなことでも、新しいことをしたという実績が大事です。