日本のシンボルとしての桜
「日本のシンボルって何だと思う?」
外国人にそう聞くと、すし・忍者・富士山と一緒に「さくら」という答えがよく返ってくる。
日本人にとっても、桜が日本の象徴であることに異論はないはず。
平安時代の貴族で歌人の在原業平は、桜をテーマにこんな有名な歌を詠んだ。
「世の中 たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」
もしこの世の中に、桜というものがまったく無かったら、春の人びとの心は、もっとのどかで穏やかでいられただろうに。
この思いは21世紀の日本人も同じだ。
絶好のタイミングで花見をするため、桜がいつ咲くか気になって開花状況をこまめに確認することは今である。
「桜前線」という前線がある国は世界で日本しかないということも、桜に対する日本人の愛情や関心の深さを表している。

桜はいつ「日本の花」になったのか
では、桜はいつから日本文化を代表する花になったのか?
それについていろいろな考え方があるから、ここではそのひとつを紹介しよう。
中国文化の受容と選択
日本の歴史や文化にもっとも多くの影響をあたえた国、それは中国だ。
古代、遣隋使や遣唐使たちが中国にわたり、先進的な政治システムや文化などを学び、積極的に吸収していた。
しかし、当時の日本人は「中国にあるものはすべて優れている!」とは考えていなかった。
そのため取捨選択をおこない、日本に必要なものをピックアップしたり、日本人に合うように変化を加えたりしていた。
中国文化のコピーはしないで、「日本化」させて別のものにしてしまう。
これが日本文化の大きな特徴で、戦前の歴史学者・津田 左右吉(そうきち)もこう指摘している。
日本人の造り出した文学も芸術も、またその根柢になっている精神生活も、支那人のとはすっかり違っている。日本には、支那とは無関係に、日本だけで独自の歴史が開展せられ、それによって、平安朝の貴族文化も鎌倉以後の武家政治も徳川時代の封建制度も形成せられたが、これらは全然支那には生じなかった
「東洋文化、東洋思想、東洋史 (津田 左右吉)」
*「支那」は中国のこと。
現在、「支那」という言葉は侮辱語になるからNG。
日本人と中国人では価値観や感性が違うから、中国のものを取り入れても日本風になってしまうのだ。

日本文化における「変化させる力」
日本は中国からさまざまなものを受け入れたあと、独自に進化させて「日本文化」に昇華させた。
その代表例として着物や扇子がある。
着物と扇子のルーツは中国にあるが、日本人はそれを自分の感性や価値観に合ったものに変化させた。

桜が「日本の花」になった過程もそれと似ている。

紫宸殿の前に「左近の桜」がチラリと見える。
梅から桜へ――美意識の転換
京都御所には「紫宸殿(ししんでん)」という重要な建物があり、その前の庭には「左近の桜・右近の橘(たちばな)」がある。
東側にあるのが左近の桜で、西側にあるのが右近の橘だ。
現在の「左近の桜」があるところは、もともとは「梅」が植えられていた。
中国人は梅の花を好きだったから、古代の日本人はそれをマネて、御所の庭に梅をおいたのだろう。
平安遷都した桓武天皇が梅の木を植えた。
しかし、いつしかそれが桜になった。
その時期には諸説あってハッキリ分からないが、9世紀、仁明天皇の時代に桜を植えたという説があるし、10世紀に梅から桜に替わったという話もある。
正確な年は不明だが、「中国のものが日本風に変えられる」という日本文化の特徴から考えると、平安時代に梅から桜になったときから、この花が日本のシンボルとなったと考えていいだろう。
英語版ウィキペディアにもそんな説明がある。
奈良時代の日本人は梅を好んでいた。しかし、平安時代に桜が登場すると、日本人はこの花に夢中になったという。
Plum blossoms were favored during the Nara period (710–794) until the emergence of the Heian period (794–1185) in which the cherry blossom was preferred.
文学に見る桜の台頭
奈良時代に成立した『万葉集』には桜よりも、中国人が好んでいた梅を取り上げた歌の方が多い。
しかし、平安時代の『古今和歌集』には、梅よりも桜が多く登場している。
ちなみに、万葉集で最も詠まれる植物は萩(はぎ)だった。
多くの日本人が桜を愛でるようになった平安時代のころから、中国文化から独立し、桜は日本の象徴になったのだ。
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