はじめの一言
*夕方の鎌倉の海岸について
「美しい眺めです。ー青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網をのばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。(メアリ 明治時代)」
「逝きし日の面影 平凡社」
前回、こんなことを書いた。
江戸時代に日本を訪れた多くの西洋人が、日本人の多くが文字の読み書きができることに驚いた。
たとえば、ドイツ人のヴェルナーはこんな感じだ。
「民衆教育についてわれわれが観察したところによれば、読み書きが全然できない文盲は全体の1パーセントにすぎない。世界の他のどこの国が、自国についてこのようなことを主張できようか?
「日本絶賛語録 小学館」
日本人は昔から識字率が高かった。
その理由の1つは、隣りに中国があったから。
世界で初めて、紙の作り方を考案したのは中国人。
その中国で生まれた製紙法が日本に伝わることで、日本では早くから紙をつくることができた。
このことが日本人の識字率の高さに影響を与えている。
文字の読み書きを覚えるためには、紙の存在がとても重要になる。
現在の日本からノートや紙がなくなったら、文字を教えたり学んだりすることが本当に難しくなるはず。
だから、歴史の早い段階で製紙法を知っていたかどうかということは、識字率の高さにも関係がある。
紙をつくることができたというのは、大きな利点だ。
そこらから考えると、前回に書いたマリで識字率が低いというのには、マリに製紙法が伝わったのが遅かったことが関係あるのかもしれない。
でも、そのことは次回書きます。
その前に知っておいてもらいたいことがあるので。
セネガルの首都ダカール
世界史を習った人やエジプトを旅行した人なら、「パピルス」というものを聞いたことがあると思う。
その時、「パピルスって紙なの? 紙とは違うの?」と疑問を感じたことはないだろうか?
なんせ、パピルスは英語の「ペーパー(紙)」の語源となったのだから。
もし、パピルスが紙だったら中国人より先に製紙法を見つけたのはエジプト人になる。
しかし、このパピルスは紙ではない。
そもそも紙ってなに?
水中でばらばらにした植物などの繊維を、薄く平らにのばして乾かしたものです。
厳密に言うと、パピルスは茎をそのまま並べて作ったものなので、紙とは言えません。
パピルス紙は一度分散した繊維を絡み合わせ膠着させてシート状に成形したものではないため、正確には紙ではない。
(ウィキペディア)
ちなみに、エジプトに行ったら、安いパピルスにはじゅうぶん注意しよう。
パピルスではなくて、バナナの葉っぱかもしれない。
そういうものを売りつけるエジプト人がたくさんいた。
それは、もうサハラ砂漠の砂の数ほど。
おまけ
英語のペーパーの語源、はエジプトの「パピルス」だと紹介しました。
ついでに、「バイブル(聖書)」の語源も覚えときましょうかね。
これは「紙(ビュブロス)」という言葉が語源。
西アジア、オリエント地域では、紙のことはパピルスではなくビュブロスといっています。「バイブル」とか、「ビブログラフィー」という言葉は、このビュブロスが語源ですね。
(四大文明 NHK出版)
今回はここまで。
次回、製紙法が伝わった歴史について書いてきますよ。
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