今回の旅は、いつもの旅とはちょっと違う。
バッグパックと同じくらう大事な「旅友」だった一眼レフカメラを持って行かないことにした。
「一眼レフは良い写真を撮ることができる。でも写真を撮ることが目的になってしまうと、旅の楽しみがなくなってしまうような気もする。じゃあ、今回は持って行くのをやめよう」と。
ボクが初めて海外旅行をしたときから、カメラは持って行った。
そのカメラも今までにこんな進化をたどっている。
フィルムカメラ→デジカメのコンパクトカメラ→デジカメの一眼レフという具合。
悟空がサイヤ人になったり、ピチュウ→ピカチュウ→ライチュウと進化したりするような感じですわ。
ピカチュウのことを書いたところで思い出したことがある。
このピカチュウをイスラーム教の国の中には禁止しているところもある。
それは知ってましたか?
今回はそのことを書いていこうと思う。
以前、インドネシア人のイスラーム教徒からこんな話を聞いたこ。
「インドネシアではポケモンは問題ありません。でも、イスラーム教に対してとても厳しい考え方をしているサウジアラビアは違います。サウジアラビアでは禁止されているんです」
「ポケモンが禁止?」
どういうことなのかちょっと分からない。
でも調べてみると、確かにそうだった。
サウジアラビアやカタールでは、ポケモン”全面禁止”にされていた。
サウジアラビアの法学者がポケモンをハラームとし、保守派ムスリムがそれに賛同している理由としては、「ポケモンの後天的形態変化は生物学では『変態』と呼ばれるものであるが、ポケモンではこれを『進化』と呼んでいる。進化論は保守派イスラームからはコーランの無謬性を汚すとしてハラーム扱いを受けている
「ハラーム」とは、イスラーム教で禁止されているもの。
たとえば豚肉なんかがハラームになる。
イスラーム教徒が食べていい肉は「ハラル(許可)」とよばれている。
ポケモンを禁止しているはサウジアラビアだけではなかった。
四月にはカタールでも、フォトワが出された。
その理由は、ポケモンが偶像崇拝を禁じる教えに反するということだけでなく、人気のポケモン・カードを交換する行為がギャンブルの一種と考えられること、登場するキャラクターが進化する、つまりイスラームで禁じられている進化論にもとづくものとだということだ。「常識の世界地図 (文春新書)」
「islamreligion」というサイトでは、イスラーム教の聖書クルアーン(コーラン)の中でギャンブル(賭け事)を禁止している部分を紹介している。
“サタンの望むところは、酒と賭矢によってあなたがたの間に、敵意と憎悪を起こさせ、あなたがたが神を念じ礼拝を捧げるのを妨げようとすることである。それでもあなたがたは慎しまないのか。”(クルアーン5:91)
つまりこれらのイスラーム教の国では、次の3つの点理由でポケモンが禁止されているらしい。
・ピカチュウが進化する。「進化論」はイスラーム教の考えに反している。
・ポケモンというアニメ自体が偶像にあたること。
・ポケモン・カードの交換がギャンブルにあたること。
もちろん、すべてイスラーム教の聖典「コーラン(アラビア語読みでクルアーン」にもとづいている。
イスラーム圏の国では、ピカチュウの「進化」が問題になる。
イスラーム教の教えでは人や動物は「生まれる」のではなくて、神(アッラー)によって「つくられる」ことになっている。
だから「人は猿から進化した」という進化論の考え方はイスラーム教には合わない。
ということで、それはまちがった考え方とされている。
「ポケモンGO」もサウジアラビアでそれが問題になった。
・サウジアラビアだが、イスラム教聖職者組織が名指しは避けつつ、反イスラム的だと批判したと報じられた。
・モンスターが進化する姿が、イスラム教が認めない進化論に触れるのが懸念材料の1つ。
「ニューズウィーク 2016・8・2号」
このコーランの考えは、「人類は猿から進化して生まれた」というダーウィンの「進化論」の考え方とは完全に違っている。
どちらが正しいか?
イスラーム教徒にとっては、もちろんコーランの考え方。
比較すること自体、許されない。
イスラーム教の考え方では「生物の進化」は神がおこなうこと。
人が何かを「進化させる」ということは、「反イスラーム的な考え」となってしまう。
それがアニメであっても、ハラーム(禁止)になってしまうらしい。
ただ、このへんの事情はイスラーム圏でも国によって考え方が違う。
エジプトやレバノンでは、ポケモンは「問題なし」になっている。
アメリカでも、ダーウィンの進化論は「キリスト教の教えに反している」と問題視されることが今でもある。
進化論裁判(しんかろんさいばん)とは、アメリカ合衆国で制定された、進化論を学校教育の場で教えることを制限する法律、いわゆる反進化論法に対する一連の裁判のことをいう。
特に有名な裁判として1925年のスコープス裁判、1982年のアーカンソー州の授業時間均等法裁判などがある「ウィキペディア」
「進化論は聖書の教えと矛盾しているから、学校で教えるべきではない」というのは、日本人のボクにはあまり想像できない。
日本でそんなことを裁判で争うことなんて考えれない。
アメリカには信仰の深い人がたくさんいる。
ニューヨーク出身のアメリカ人と進化論の話をしていたとき、彼女からこんな話を聞いた。
「ダーウィンの進化論を信じないどころか、地球に恐竜がいたことを信じてないアメリカ人もいるのよ。『聖書にそんなことは書いてないから』って」
日本人とは全然違う。
話をカメラに戻す。
ボクの場合、一眼レフが「最終進化形」。
これでもう「カメラの進化」は終わった。
あるとすれば、今の一眼レフを別の物に買い替えることぐらい。
と、思っていた。
でも、今回の旅ではさらにもう一段階進化させてみようと思う。
一眼レフカメラのさらに上。
思い切って、一眼レフカメラを持って行くのをやめにした。
「一眼レフに使う時間を、旅を楽しむ時間に使ってみたい」という結論にたどりついたから。
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