カンボジアのポルポト派の虐殺があった刑務所
囚人に自殺をさせないために、鉄線がはられていた。
ここでは、自殺することも禁止されていた。
最近、「世界で最も多くの人間を殺した独裁者TOP10」で第3位になったソ連のスターリンについて記事を書いている。
スターリンがおこなった「大粛清(しゅくせい)」について。
大粛清
ロシア連邦国立文書館にある統計資料によれば、最盛期であった1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた
大粛清による死亡者の総数には50万人説から700万人説に至るまで諸説あり、長きにわたり論争になっている。
(ウィキペディア)
この大粛清は、1930年代にソ連の各地につくられた強制収容所でおこなわれていた。
今回は、ここに収容された囚人たちの様子を書いていく。
囚人といっても、多くの人が無実の罪で強制収容所に入れられた。
1930年代のソビエト連邦とは、そんな国。
収容所での労働では、囚人がしなければならないノルマ(作業量)があった。
今の日本でも使われるこのノルマという言葉は、もともとはロシア語だったのだ。
スターリン時代のソ連では、収容所の人間がノルマを達成できなかった場合、過酷な罰を与えられた。
*竿は「さお」
冬季には囚人を採掘場で裸にして、頭から水をぶっかけ、収容所まで走らせた。
夏季には-やはり同じく裸にして、一本の長い竿に囚人たちを後ろ手に縛りつけて、身動きのできない囚人たちを蚊の大群のさらすだった(警備兵は頭から防蚊網をかぶっていた)。それから最後に、ただ銃床尾で叩いたり、隔離監房にぶちこんだりした。(収容所群島 ソルジェニーツィン)
「ロシアの冬季」とはどのようなものかは、前回の記事を読んでほしい。
スターリン(ウィキペディア)
この強制収容所では、与えられる食べ物もごくわずか。
これはスターリン時代のソ連だけではない。
ナチス=ドイツのアウシュビッツ強制収容所でも同じだった。
少ない食事で、毎日働かないといけない。
当然飢えから逃れることはできない。
絶望的な空腹を満たすためには、人間であることをやめなければいけないこともあった。
囚人たちはあまりに飢えていたので、ザロースシィ鉱泉地では馬の死体を食べてしまったが、それは六月の暑さのなかに一週間も放置されて、悪習を放ち、蠅とうじがうようよとかっているものであった。
(収容所群島 ソルジェニーツィン)
蠅(ハエ)やうじがたかる動物の死肉にたかるのあれば、アフリカの動物と変らない。
でもそうしないと、ソ連の強制収容所では生けていけなかったのだから仕方がない。
ここではわずかな食べ物で、囚人たちは-40~-50度という極寒のなかで重労働をさせられていた。
衛生状態はわめて劣悪。
当然、病気も起こる。
そのとき、病死者はこのように「処理」されていた。
チフスが発生して、短期間の内に一万五千人の死者を堀の中へ投げ捨てた-裸で、くの字に曲って硬直したまま、節約のためにズボン下までもぎ取った状態で
(収容所群島 ソルジェニーツィン)
この記述を読むと、ナチス=ドイツのアウシュビッツ強制収容所を連想してしまう。
ソ連の強制収容所とは、アウシュビッツと同じく「殺人工場」だったらしい。
スターリンのこうした大粛清で、50万人から700万人の命が奪われた(ウィキペディア)。
もちろん、これはソ連の共産党がしたこと。
世界中の共産党が、ソビエト共産党と同じ考え方をしていたわけではない。
ここは、黒人奴隷を収容していたところ(ガーナのケープ・コースト城)
ソビエト共産党の最高指導者だったスターリンは、こうしたことをおこなっていた。
国民をこんな強制収容所に入れて、非人間的な扱いをして数え切れないほどの人の命を奪った。
そんなスターリン本人は、人類史上5番目の金持ちだった。
「スターリン①平等な社会(共産主義)を約束する人類5位の金持ち」
スターリンとは、どんな人間だったのか?
最後に、それを知る手がかりとなるものを、スターリンの言葉からひろってみる。
一人の人間の死は悲劇だが、
数百万の人間の死は統計上の数字にすぎない。死が全てを解決する。
人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。
これはスターリンのみならず、ヒトラーやポルポトなの独裁者に共通した考え方だろう。
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