バックパックは持って、一眼レフは置いて玄関を出る。
空港行きのバスは乗るためには、自宅から高速道路を使ってバス停まで行かないといけない。
うん?高速道路?
高速道路といえば、最近、イギリス人とアメリカ人と高速道路を使って旅行したときのことを思いだした。
まず、そのとき知ったのは、アメリカとイギリスでは「高速道路」の言い方が違うこと。
高速道路を、アメリカでは「ハイウェイ」と言い、イギリスでは「モーターウェイ」と言う。
アメリカも、昔はイギリスと同じ英語を使っていたけれど、いつからアメリカ英語ができたのかは、さすがにアメリカ人でも分からないという。
ここで、アメリカ英語とイギリス英語の話題になった。
ふつう、日本人が学んでいるのは、アメリカ英語だ。
例えば、「サッカー」はアメリカ英語でイギリス英語だと「フットボール」になる。
それは、知ってた。
でも、このとき初めて知ったのは、日本では運動靴を「スニーカー」と言っているけど、これはアメリカ英語で、イギリス英語だと「トレーナー」になるということ。
これを知っときは、ちょっと不思議な気がした。
「トレーナー」って、日本じゃスポーツをするときの上着のことじゃないか。何でそれが靴の名前になっているのだろう。
ちなみに、スニーカーについて、ウィキペディアにはこうある。
語源としては英語の”Sneak”(忍び寄る)から派生している。靴底の堅い革靴と違い、柔らかい素材でできたスニーカーを履けば、後ろから音をたてず静かに忍び寄ることができるということから名付けられた。(ウィキペディア)
このとき一緒にいたアメリカ人によると、「スニーカーは、バスケットシューズとして生まれたのが最初じゃないの?」ということらしい。
同じ英語でも、アメリカ英語とイギリス英語は違うんだなあ、と実感。
さらに、そのとき話題になったのが、日本と英米の習慣の違いについて。
まず、ボクがチップという習慣の文句を言う。
「はっきり言って、チップって制度が好きじゃない。食べ物に料金以外のお金を払うことに抵抗がある。日本じゃそんなことはしないから」
すると、早速、アメリカ人とイギリス人から反撃をくらった。
「そんなことを言ったら、日本の居酒屋の『お通し』こそおかしい。日本の習慣だから仕方がないけど、頼んでもいない物を出して、お金を取られるのは良い気分ではない」
お通しについては、ボクも同感だから、反論できない。
インドやエジプトで、勝手に食べ物を出されて、後からその分を請求されたら、かなり腹は立つだろうな。
「でも、アメリカやイギリスのチップの習慣は面倒くさそう。誰にどうやって、いくら払えばいいか分からない」と、まだチップの文句を言う。
話を聞いていると、英語だけではなくて、チップの習慣についても、アメリカとイギリスは違うらしい。
イギリスでは、習慣というほどではなくて、あげてもあげなくてもどちらでもいいと言う。
アメリカでは、チップの習慣が社会に定着しているから、レストランで店員にチップを渡すことが一般的だと言う。
「全然面倒くさくない。食事なら、大体金額の10~15%出せばいいし、要は気持ち。良いサービスを受けたら、お金を渡したくなるじゃない」
と、アメリカ人が言う。
「良いサービスだったよ」「がんばってるね」と思っても、店員にお金を渡す気にはなれないな。言葉だけで十分だ。
そういえば、前に、こんなこともあった。
「もうすぐ、両親がアメリカから来るの。だから、車で案内して」と頼まれて(利用されて)、その子の両親を一日車でお寺やレストランに案内したことがある。
別れ際、「サンキューソーマッチ!」という言葉と共に、財布から1000円札を出してボクに渡そうとする。
「とんでもないです、いいですよ!」とボクが言ったけど、友人はこう言う。
「いいんです。気持ちをお金で表すのも、アメリカの考え方というか文化なんです。だから、もらってください」ということで、受け取った。
このとき、チップという習慣もこうして生まれたのかな、と思った。
日本だと、感謝の気持ちは、言葉や態度で表すことが普通で、気持ちをお金にして渡すことは、失礼に当たるかもしれない。
ご祝儀や祝いなどで気持ちをお金にして渡すことはあるけれど。
この場合も、日本人なら「少ないですけど、ガソリン代として」と遠慮がちに言うかもしれないけれど、こちらが「いいですよ、大丈夫ですよ」と言えば、「そうですか?すいません」となると思う。
このアメリカ人の場合は、笑顔で胸を張り、堂々と1000円札を出していた。
日本では、お金を他人に渡すときは、何かで包んで渡すことが常識だから、こうしてそのまま現金を渡すのが、アメリカンで日本とは違うんだなあ、と思った。
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