すこし前、インドネシア人4人とマレーシア人2人と一緒にハイキングへ行ってきた。
そのときにいろんな話をきいたから、これからその内容を書いていこうと思う。
前回につづいて、今回も主にインドネシア人の話。
まずはインドネシアって国を簡単に知っておこう。
前回見た人はすっ飛ばしてくれ。
面積:約189万平方キロメートル(日本の約5倍)
人口:約2.55億人(2015年)
首都:ジャカルタ(人口1,017万人:2015年)
民族:大半がマレー系(ジャワ,スンダ等約300種族)
言語:インドネシア語
宗教:イスラム教 87.21%,キリスト教 9.87%(プロテスタント 6.96%,カトリック 2.91%),ヒンズー教 1.69%,仏教 0.72%,儒教 0.05%,その他 0.50%(2016年)
以上の数字はインドネシア共和国(Republic of Indonesia) 基礎データから。
インドネシアは日本と同じ島国だけど、民族や宗教を見るとわかるように超多民族国家。
インドネシア人に「じゃんけん、ポイ」をインドネシア語でどう言うのか聞いたら、「島によって違います」と言われた。
イスラーム教徒の女性が髪を隠すためヒジャブをつけている。
・ポカリスウェット
この山に来る途中、コンビニに寄ったとき、2人のインドネシア人がポカリスウェットを買っていた。
インドネシアではラマダン(イスラーム教の断食月)のときに、水分補給としてポカリスエットが大人気。
ポカリを飲むと力が湧いてくると言う。
だからラマダンのシーズンになると、ポカリスエットがよく売り切れる。
1人のインドネシア人が工場見学の話をする。
インドネシアにある大塚製薬の工場へ30人以上で行ったとき、全員にポカリスウェットを1本ずつくれて感動した。
インドネシアでは工場見学をしても、ふつうは何ももらえない。
いまはポカリの類似品が多いから値段も下がったけど、当時は高嶺の花の飲み物だった。
「日本のサービスはやっぱり違う」とそのとき感じたという。
インドネシアに生息するオラウータン。
オラウータンは「森の人」という意味。
・インドネシアのキリスト教
先ほどの外務省のデータでは約2.55億人の人口のうち、キリスト教は約10%(9.87%)とあった。
これを単純に計算すると、インドネシアには2550万人のキリスト教徒がいることになる。
今回のメンバーではインドネシア人3人とマレーシア人2人がイスラーム教徒で、残り1人のインドネシア人がキリスト教徒。
当然、5人はことしもラマダン月に断食をしたけど、キリスト教徒の彼にはまったく関係ない。豚肉も酒も彼はOK。
上のような洞くつに着いたとき、そのキリスト教徒がとつぜん歌いはじめる。
何の歌かきいたら、むかし通っていた教会で歌っていた賛美歌で、感動したり興奮したりすると自然と口から出てくるらしい。
「そうか。これがインドネシア人のキリスト教徒か!」ということはなくて、これはきっと彼だけ。
インドネシアではすべての宗教が尊重されている、ということになっているけど、実際にはイスラーム教の影響がとても強い。
でもインドネシアを旅行して感じたのだけど、社会はわりと平和が保たれていて、インドのような激しい宗教対立はない。
ハイキングを終えて昼食を食べているとき、「インドネシアにはいろんな宗教があるけど、ケンカしないでうまくやっていっているよねえ」とボクが言うと、「そうでもありませんよ」とキリスト教徒のインドネシア人が言う。
彼が通っていた教会では、誰かが投げた石によって窓が壊された。
「イスラーム教徒のしわざです」と、5人のイスラーム教徒の目の前で言う。
彼らは黙ってご飯を食べている。
呼吸がしづらいほど空気が重くなってしまった。
異なる信者がいるところで、うかつに宗教の話題をしたボクが悪いんですね。
これが昼食のメニュー。
名前は忘れたけどインドネシア料理。
ミスター讃美歌は、キリスト教徒として初めてジャカルタ州の知事になったプルナマ知事のことを話しはじめる。
この知事は選挙運動中にイスラム教の聖典「クルアーン(英語読みコーラン)」を侮辱したとして、「宗教冒涜罪」に問われ、裁判にかけられていた。
くわしいことはイギリスBBCの記事(2017年05月9日)にある。
知事の発言はイスラム教強硬派の激しい反発を招いた。知事を裁判にかけるよう求める抗議デモが繰り返し行われ、知事は処刑されるべきとの極端な声も一部にあった。
ジャカルタ州知事、イスラム教への冒とくで有罪判決
「これは宗教差別です。この知事はキリスト教徒だから、こんな目にあったんです」とキリスト教徒のインドネシア人が言う。
するとイスラーム教徒のインドネシア人が口を開く。
「それは彼がキリスト教徒だからはなくて、中国系だからだと思います。宗教差別ではなくて、人種差別ですよ」
どっちにしてもハッピーなことじゃない。
でもきっかけをつくったのは、多民族・多宗教国家の国民を前に宗教の話をした自分だから、これから本当に気をつけようと思う。
多民族国家・多宗教国家の人々と一緒にいる際、民族あるいは宗教の話を持ち出すと「気まずい雰囲気になる」場合が多いため、マナーとして、その話題を避けるべきだとよく言われます。
ですが、ブログ主さんは、そんなマナーが普遍的とされているのは世界でもほとんど日本だけであるという事実を、ご存知でしょうか?外国ではそんなマナーが語られるようなことは、まずありません。たとえ民族・宗教が異なる相手であっても、気まずい雰囲気になろうとも、口喧嘩になろうとも、彼らは平気でその手の話しをします。互いに譲れない主張や信念があれば、それを声に出して積極的に相手にぶつける、なぜなら自己のアイデンティティーを彼らは大事にしているからです。また、口に出して互いに主張することにより、相手が自分と異なるアイデンティティーを有していること、それはそれで尊重すべきであることを相互に理解するのです。
言葉の上での対立や気まずい雰囲気に直面する勇気がないために「マナー」という言葉でごまかしてその話題を避けているようでは、いつまで経っても決して相互に理解し合えることはないだろうと、私は思いますね。そんなのは、古臭くてグローバル時代には役に立たない、ずる賢い昔の日本人の卑怯な猿知恵だ。
その程度の対立には決して動じず、もし可能であればその対立をさばいていく、それくらいの能力が、今後の若い日本人達には要求されるようになってくる時代であると思います。
私が出会った外国人は、相手や場にもよりますが、宗教や政治の話をするのは慎重でした。
もちろん経験は人それぞれで、これは私の個人的なものです。
>そんなマナーが普遍的とされているのは世界でもほとんど日本だけであるという事実を、ご存知でしょうか?
それは知りませんでした。
それを確認できるものはあるでしょうか?