きょねんの秋、日本に住むインド人の夫婦を連れて近くの神社へ紅葉を見に行った。
「なぜそんな話をいま7月に?」という疑問はもっともだけど、「あれ?この下書き原稿、まだ公開してなかったんだ」ということに最近気づいたから、いまがそのタイミングかと。
でも、記事の内容に季節はほとんど関係ないから、「ヒンドゥー教徒のインド人を神道の世界に案内したら何を思うのか?」ということをこれから見ていこう。
今回行ったのは静岡県袋井市にある小國神社
・渋滞
シーズン中の紅葉スポットに車で行くと、どうしても渋滞に巻き込まれる。
でもその様子を見たインド人は、「車が一列に並んでいて、渋滞が”きれい”だ」と感心する。
インド人なら、誰もがわずかな空間に車を突っ込ませるから秩序は生まれない。
それに日本人のドライバーはインド人と違って、クラクションを鳴らさないからとても礼儀正しいという。
車の窓からゴミを投げ捨てる人がいないのも、インド人的には好印象。というか別世界。
・生き物
神社の境内で犬の散歩をしていた人を見て、「あれはいいんですか?」とインド人がおどろく。
インドでヒンドゥー教のお寺やイスラーム教のモスクに、動物を連れて行くことはない。
とくに犬を汚れた生き物と見るイスラーム教徒にとって、モスクでの犬の散歩はあり得ない。
ヒンドゥー教では猿や牛などの動物を神聖視しているけど、お寺に動物を持ち込むのはNG。
野生の猿などが勝手に入っているのはOK。
・紙垂
神社にはこんな「紙垂(しで)」がある。
これは雷光をイメージしたもので、邪悪なものや禍を追い払うとされる。
そんなことを聞いたインド人はヒンドゥー教の「インドラ神」のことを話す。
インドラは雷をあやつる神で、強大な力で邪悪な存在を滅ぼすという。
インドラ神
・ご神木
神はアッラーだけのイスラーム教では、木を神聖視することはあり得ない。
ヒンドゥー教ではどうかを聞いたら、神様を像や絵であらわしたものを崇拝するから、こんなふうに木が神になることはないという。
*別の機会に南インド出身のヒンドゥー教徒に話を聞いたら(上のインド人は北インド出身)、「neem tree(インドセンダン)」という木は神道のご神木に近いという。
この木にはいろんな薬用成分があることから、ヒンドゥー寺院の境内や自宅の庭に植えられていることがある。
そのインド人がよく行くヒンドゥー寺院では、この木の下にガネーシャの像がまつられていたという。
英名の「ニーム」で知られる。また、近年はその薬効の多さから「ミラクルニーム」という名称で流通している事もある。メリアアザジラクタの表記も用いられる。
インド人はこの木の枝を歯ブラシとして使うことがある。
ニーム・ツリー
・卍
「卍」は仏教のシンボルなのだけど、「神仏混交」の影響で、神社でも見かけることがある。
これは仏教と同時に、ヒンドゥー教を象徴するものでもあるのだ。
インドでは「スワスティカ」と呼ばれていて、魔除けの意味があるという。
*インド人なら、仏教はインドで生まれた宗教なのは知っている。
神道は日本生まれの宗教だから、その2つはまったくの別もの。
でも日本にいると、お寺と神社の違いがよく分からないと言う。
これも「神仏混交」の影響だ。
交通安全の祈祷を受けて「卍」が描かれたインドの車
・お守り
日本の神社やお寺には魔除けや幸運を招くといった目的のお守りがある。
ヒンドゥー教ではその意味でなら、「卍」や神聖な文字(聖音)とされる下の「オウム」を使うという。
ヒンドゥー教には関係ないけど、龍のお面や蹄鉄(ていてつ)を魔除けにする人もいる。
蹄鉄は馬のひづめを保護するために付けられるU字型の保護具。
蹄鉄を魔除けにする風習はヨーロッパにもあるから、そこからインドに伝わったかもしれない。
・食べ物
写真の白い屋根のところで「おしるこ」を売っていた。
ヒンドゥー教では願いがかなった人が感謝の気持ちで、お寺の参拝者に食べ物を配ることがある。
だからインド人はこのおしるこを見たとき、「タダでもらえる!」と一瞬喜んでしまったという。
・聖俗を分けるもの
日本の神社では、神聖な世界と俗世を分けるものとして鳥居や川がある。
ヒンドゥー寺院には、こんなふうに聖俗を分けるものはないという。
でも、「マハラジャ(王)が住んでいた城には堀があって、外側と内側を分けていた」と話す。
そんな堀なら日本の城にもあるけど、インドの城の堀は「防御力」をアップさせるためにワニを入れることも多かったという。
大阪城の堀
こういうところにワニをぶち込むのがインド流。
・参拝のマナー
神社には参拝前に手を清めるための手水がある。
ヒンドゥー教のお寺には身体の一部を清めるものはないけど、お寺に入る前、しゃがんで地面に触れたあとに自分の額に触れることがある。
ひざまずいて地面にキスをする人もいるという。
*別のインド人ヒンドゥー教徒から聞いた話では、足を洗うための蛇口が用意されているお寺もある。
でも、神様の絵に触れるときは手を洗うという。
ヒンドゥーの女神「ラクシュミー」
仏教では「吉祥天」になった。
ヒンドゥー教と神道には多神教や民族宗教などの共通点があるけど、やっぱりいろいろと違う。
よかったらこちらもどうぞ。
「卍」については、きっと今の若い人達ならば読み方を知らない人もいるだろうから、「卍(まんじ)」という読みを併記しておくべきでは。かな漢字変換でも、それで入力できますよね。
神社の境内に犬を連れて入ることについては、地方によってだと思いますが、境内への連れ込み(?)はよくても、鳥居から本殿までの「内宮」に相当する範囲だけは、犬を連れて入ってはいけないという考えもあります。(少なくとも東海地域ではそういう習慣です。)
で、仏教における動物の扱いですが、もともと釈尊の教えでは悟りの境地を動物に語りかける場面もあったくらいで、釈尊自身は人間と動物を区別・差別する考えはなかったと思われます。人間と動物との間に明確な境界線を引いた(動物は「畜生道」という地獄に堕ちる)のは、釈尊自身ではなく後世の弟子による思想でしょう。
とすると、いま日本の仏教界で問題となっている「ペットを飼い主と同じ墓へ葬ってよいか?」という問題も、ああだこうだと論争するのが馬鹿馬鹿しい。世界に類例のない「妻帯僧侶」という制度を備えた「超大乗」の日本仏教なんだから、今さら迷うことなんかない。釈尊の教えに立ち帰って、動物も人間と同じ扱いにして墓へも入れてやればいいと思いますね。そこまでやれば、世界に誇れる仏教にもなり得る。
(念のため言っておきますが、私は無宗教ただし常識として俗習には従う派です。)
卍の読み方については大丈夫と思いますよ。
「マジ卍」という言葉は若い人の間で流行語になってますから。
神社に犬を連れて入ることは本当はよくないと思います。伊勢神宮でそういう人は見たことがないですけど、地方の神社なら黙認されているところもあるのでは。
「ペットを飼い主と同じ墓へ葬ってよいか?」ということについては、私も本人や家族の意思を尊重すればいいと思います。