この前のお盆休みにリトアニア人、ドイツ人、ベトナム人の外国人を連れて京都旅行に行ってきた。
金閣寺・祇王寺・先斗町・祇園・錦市場・嵐山・嵯峨野の竹林・平安神宮・貴船の流しそうめん・伏見稲荷・東本願寺などなど京都の各地に行ったあと、どこがよかったか聞いたら、リトアニア人とドイツ人の挙げたベスト3に「バンブーフォレスト」が入っていた。
ヨーロッパ人としては嵯峨野の竹林がすごくよかったらしい。
ベトナム人も「良い」とは言っていたけど、竹はベトナムにもあって珍しくはないから評価はそんなに高くない。
みんなで話をしていたとき、リトアニア人からこんな質問をされた。
「日本のお寺や神社にはよく竹林がある。なんで日本人はそこに竹を植えるんだ?」
たしかにお寺や神社では、とくにお寺で竹を見かけることがある。
読者のみなさんは、外国人からこんなことを聞かれたらどう答えますか?
竹林を歩くドイツ人
竹は中国から伝わったもので(例外的に自生の竹もあるらしい)、竹林という発想も中国由来らしい。
古代の日本人にとって中国は先生のような存在だから、梅のように、中国人が愛でたものを日本人も愛でたのだろう。
竹はむかしから日本人にとって身近で親しみのあるもので、古事記や万葉集にも竹がでてくる。
伝説上の美女、かぐや姫は竹林で見つけられたという設定だから、竹林は日本人にとって好ましいものだったはず。
いつごろか分からないけど、これが日本のお寺の必須アイテムになった。
日本では庭園を構成する要素の一つとしても重宝されるなど、竹林の織り成す景観は日本の風土を象徴するものの一つとなっており、特に京都の寺院や郊外の景観を形づくる要素の一つとして大きな比重を担ってきた。
ここで外国人の質問にリターン。
日本のお寺や神社に竹(竹林)を植える理由とは?
このときボクは前に香港人から聞いた話をした。
「竹林には、世俗(世間)と神聖な空間を分けるパーティションの意味があるんだ。金や名誉などを求める欲望にまみれたこの世界と宗教の聖域との境界に竹を植えることによって、その2つの空間をはっきりへだてている」
香港人と鎌倉へ行ったときにこんな話を聞いた。
一緒に話を聞いていた台湾人は、「そうなんですか!知りませんでした」と言っていたけど。
この話をパクって「お寺や神社の聖なる空間と世間とを明確に区切るために、竹林を植えたんだよ」と話すと、リトアニア人とドイツ人は「なるほど」と納得した様子。
この「竹林はパーティション説」については香港人から話を聞いたあと、ネットで調べてみたけど確認できなかった。
でも中国旅行に行ったとき、現地の日本語ガイドに聞いたら、「その人の話は正しい」と太鼓判を押す。
聖俗を区切るために、竹林を植える発想はむかしから中国にあるという。
このとき中国人ガイドは「竹林の七賢」の話をする。
「竹林の七賢」といえば、日本では高校世界史でならうあの7人だ。
3世紀の中国で、下の7賢者がいろいろとわずらわしい世間を嫌って竹林にこもり、酒や音楽を楽しみながらいろんな議論をかわしたという話がある。
阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
これらは実在の人物だけど、竹林でこの7人が集まったという事実はないらしい。
3世紀の中国では老荘思想が好まれて、こういう世間ばなれした話をする清談が流行した。
中国人はこういう考え方が好きで、こんな生活にあこがれを持つようになる。
後世になると,世俗のわずらわしさから逃れて生きた賢者の集団として,中国人の生き方の一つの理想像となった。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
中国人ガイドのこんな話を聞くと、日本人がお寺や神社に竹林を植える理由は、聖俗を分けるためのパーティションだったという説は正しい気がする。
ちなみに、この記事のトップ画面は京都のお寺にあった竹林の七賢ですよ。
以下、余談
「竹が2つの世界を分ける境界になる」という考え方はアメリカにもあった。
冷戦時代、共産主義陣営と反共主義陣営のヨーロッパでの境界線を、イギリスのチャーチル首相は「鉄のカーテン」と呼んだ。
これに対し、アジアにおけるこの境界線を「竹のカーテン(Bamboo Curtain)」と呼ばれた。
余談その2
日本のお寺に竹林があるのなら、韓国のお寺にはサルスベリの木がよくある。
表面がツルツルしているけど、実際のところ、猿は問題なく登ってしまう。
韓国の寺にこの木が多い理由は「すべり」にある。
お坊さんと儒者(儒教の学者)が「欲を捨てて勉学に精進すべき」という意味から、サルスベリが韓国の寺にたくさん植えられるようになったという。
竹林のように「俗世から離れる」という意味がありそうだ。
くわしいことは中央日報の記事(2019年08月17日)をどうぞ。
韓国の寺にサルスベリの木が多い理由は?
サルスベリの幹
こちらの記事もどうぞ。
昔(といってもつい20世紀末くらいまで)、日本の住宅建築は竹がなくては壁が作れなかった。つまり真壁(土壁)の芯は割竹を縦横に組んで藁縄で結んだ「竹小舞」だったからです。真壁以外にも、竹をメッシュ状に組んで「網戸」のようにした窓開口とか、竹箒とか、花差しとか、水飲み、柄杓、竹の短冊、楽器(尺八)、火をおこす竹筒とか、昔のお寺や住宅には竹を利用したものがいっぱいありました。
そのために竹林を増やしたという訳ではないでしょう。しかし、竹材は、日本人の生活にしっかりと結びついて色々と上手に利用されてきていたことは確かです。
>日本の住宅建築は竹がなくては壁が作れなかった。
それは初耳でした。ずいぶんお詳しいですね。ためになります。
きのう行った和風レストランも壁が竹でできていました。
日本人は竹と付き合ってきましたし、利用するのがうまいと思います。