韓国では教えない日本人、光化門を守った「柳宗悦」

 

上の写真はソウルにある景福宮の正門「光化門」。
韓国語で「(クァンファムン)」というのだけど、韓国を旅行中、ボクの発音がまったく通じなくて苦労した記憶がある。
この門の近くに宿をとっていて、ソウル市内からタクシーで戻るときに、運転手に「クァンファムン」と何度言っても通じない。
「光化門」と漢字で書いて見せても、運転手は漢字が読めなかった。
「どうしたんですか?」と声をかけてくれた若い韓国人にも、「クァンファムン」と「光化門」がわかってもらえず、お手上げ状態になってしまった。
まあいいや。

さてこの「光化門」には立派な意味がある。
「光と化して数万の民に恩恵を与える」ってやつだ。
朝鮮時代はこの門の内側で政治が行われていたから(朝鮮出兵まで)、そこで決められた政策が国王の威光とともに恩恵となってこの門からすべての民衆に広がっていく、というイメージなんだと思う。
「四方に広がって教化が万国に及ぼす(光被四表化及万邦)」で光化門になる。

マメ知識として書くと、昌徳宮の正門、敦化門(トンファムン)は「美しい(昌)徳が厚く(敦)変わる(化)」という意味。つまり、王の教旨が永らく民に恩恵を与えるということ。
昌慶宮の正門、弘化門(ホンファムン)は「創成する(昌)慶事(慶)が広く(弘)化する」という意味だ。
全国の隅々にまで恩恵が施されるということ。
慶熙宮の正門、興化門(フンファムン)は「慶事の喜び(煕)を起こさせる(興)」という意味だ。
王の教旨を待ったかのように民がうれしく迎えるということ。

 

さてこのたび、「光化門」と書かれている表札板が変えられることが決まった。
だったら板だけではなくて文字も書き直せ、と韓国の大学名誉教授が中央日報のコラム(2019年09月13日)で提言している。
その理由は、ここに書かれる文字はその建物の顔で、そこには精魂を込めないといけないから。

昔の人々は塀で遮られて建物の中を覗いて見ることができず、門の表札板の文字を見て建物主の意識や文化水準を判断した。そのため、建物主は門の表札板の文字に大きく精魂を込めるほかはない。ましてや光化門は宮廷の門だから粗雑にすることはできないだろう。

光化門の表札板だけでなく文字も変えるべきだ

 

その考え方には賛成だ。
ただ、「(光化門という)水準の高い意味を持つ文字が水準に達しなければ、それは大韓民国の品格を落とすことだ。」という不必要な誇り高さが目につくけど、「そうこなくては韓国じゃない」という気もして悩ましい。

ただ韓国の品格を高めたいのなら、他にも方法がある。

 

 

1910年に韓国が日本に併合されたあと、道路を拡張するために光化門が取り壊されそうになった。
それを救ったのは上の写真の人、日本の美学者、柳宗悦(やなぎむねよし)だ。

これに反対抗議する評論『失はれんとする一朝鮮建築のために』を、雑誌『改造』に寄稿した。これが多大な反響を呼び、光化門は移築保存された。

柳宗悦

 

他にも協力者はいたけど、中心人物は柳宗悦だからこの名前だけ知っておいたらよろし。
柳らの訴えで光化門は取り壊しをまぬがれ、北側に移築された。

韓国では日本統治時代はすべてが「闇」とされている。
歴史教科書を見ても、この時代の日本人は朝鮮人を搾取し、残酷の限りを尽くしたというように描かれている。
だから1919年3月1日に起きた「三・一独立運動」のとき、柳宗悦が「反抗する彼らよりも一層愚かなのは、圧迫する我々である」と日本側を批判したことを、韓国の人たちは知らない。
日本語ペラペラで日韓の歴史や文化については一般の韓国人より知っている韓国人でも、柳のことはまったく知らなかった。

「その時代の日本人は悪者ですから。韓国のためにいいことをした日本人なんて学校では教わりません」と言う。

かといって、何かの拍子に柳のことを知ったところで、「そもそも日本が韓国を植民地にしなければよかったのだ!」と現代の価値観でムチャなことを言うだろう。

 

光化門を守るために、柳宗悦は「失われんとする一朝鮮建築のために」でこう書いて世論に訴えた。

光化門よ、光化門よ、お前の命がもう旦夕に迫ろうとしている。お前がかつてこの世にいたという記憶が、冷たい忘却の中に葬り去られようとしている。どうしたらいいのであるか。私は想い惑っている。酷い鑿や無情な槌がお前の体を少しずつ破壊し始める日はもう遠くはないのだ。

光化門よ、お前の存在はまもなく奪われるのだ。しかし奪われてはならぬ存在のために私はこれを書いているのだ。

朝鮮を想わせる諸官衙を左右にひかえ、聳える北漢山を背景として遥か大通を向うに光化門を仰ぐその光景は、忘れ難いものではないか。自然との配置を深く考察して計劃せられたその建築には二重の美しさがある。自然は建築を守り、建築は自然を飾っているではないか。

全文はここからどうぞ。

民藝四十年

 

こうした柳の思いが日本の世論を動かして、光化門は移築保存が決まったのだ。
光化門の恩人とは言わないけど、柳宗悦のように朝鮮を思って行動した日本人がいたことを、いまの韓国国民に伝えることも「大韓民国の品格」を保つことになるはずだ。

「私の知れる、または見知らぬ多くの朝鮮の友に、心からのこの書翰を贈る。」という柳のメッセージがいまの韓国人には届いていないのは残念。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。