宇都宮駅で日本初の駅弁(にぎりめし2個とたくあん)が販売された1885年(明治18年)、シドモアというアメリカ人がやって来た。
そのときの日本人の印象を彼女はこう記す。
日本人は世界でも際立つ興味深い民族で、しかも感謝の念は特定の個人にだけなく日本全体に強く感じます
「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」
いまでは普通の英語になっている「ツナミ」という言葉を初めて使ったのはシドモアらしい。
英語文献において「津波」 Tsunamiという言葉が用いられた、現在確認できる最古の例とされる。
さて、現代の外国人が日本人の感謝の念を強く感じたり、興味深い民族と思ったりするのはこんなニュースを見たときだろう。
朝日新聞の記事(9/29)
遺影に「1141064」 30日終了、ポケベル葬
「個人向け通信呼び出し」(ポケットベル)がきのう9月30日でサービスを終了した。
ポケベルのご臨終だ。
ということで東京都葬祭業協同組合が主催した「みんなのポケベル葬」がJR秋葉原駅の近くでおこなわれた。もちろんしめやかに。
2時間半の催しには買い物客などを含め約300人が参加。「1141064」(愛してるよ)と表示された「ポケベル」のパネルを遺影に見立て、訪れた人が次々と白いカーネーションを献花し、頭を下げた。
遺影に「1141064」 30日終了、ポケベル葬
「1141064」という数字で「愛してるよ」、「49106」で(至急テル=電話くれ)」、「0840」で「オハヨー」と分かる人がいまの日本にどれだけいるのやら。
記事の画像を見ると、人間と変わらない本格的な葬儀が行われている。
白い菊の花で飾られた立派な祭壇にポケベルの“遺影”が置かれていて、参列者が手を合わせ頭を下げている。ポケベルの“霊魂”に感謝の気持ちを込めて、供養する民族は世界で日本人だけだろう。
このニュースにネットの反応は?
・カネの臭いしかしないイベントだな
・11874。゚(゚´Д`゚)゚。
・ひとつの平成が終わったか。
・ポケベルはやらなかったけど、ドコモのショートメールは感動したもんだ
・トイレの花子さんに、「564219」(殺しに行く)とかいうストーリーあったわ
・ポケベルの出てくる歌と聞いて、裕木奈江を思い出す人は多いが
FISH&CHIPSを思い出す人は少ない
そしてこの翌日、10月1日は「メガネの日」。
毎年この日になると、使い終わったメガネの霊(魂?)の冥福を祈る「めがね供養」が行われる。
これはきょねん東京眼鏡販売店協同組合が開催したものだ。
東京都台東区・上野不忍池畔の辨天堂で開催され、役目を終えた約2,000本のメガネの供養を執り行いました。
ちゃんと祭壇が設けられていて、お坊さんが読経している。
このニュースをきょねん教えてくれたのが、日本で英語を教えているカナダ人。
日本にはもう6年ぐらい住んでいるから、たいがいのことでは驚かない彼女だけど、「メガネの葬式」は理解できなかった。
「感謝の気持ちは分かるけど、メガネよ!日本人のすることはやっぱりワケが分からない」とシドモアのようなことを言う。
このときアメリカ人とイギリス人もいたけど、まったく同じ感想だ。
日本人はいろいろな物に感謝し、供養してしまう。
ネットで探すと免許供養、靴供養、箸供養なんかが出てくる。
他にもあるはずだから、あとはヒマな人におまかせしたい。
物の供養で有名なものに、平安時代から続く針供養がある。
使えなくなった針を神社に納める、あるいは豆腐や蒟蒻のように柔らかいものに刺したりすることで供養し、裁縫の上達を祈った。また、かつては土の中に埋めたり、針を刺した豆腐や蒟蒻を川や海に流して供養するという型式で執り行われる地域もあった
バースデーケーキのようだけど、無数の針を豆腐に刺した針供養のもの。
画像:hiro_y
これは昭和35年ごろの針供養
*余談だけど、インドで祭りのことを「プージャー」と言う。
プージャーというサンスクリット語を訳したのが「供養」になる。
物に霊魂を感じてそれを供養する。
そんな信仰は日本以外に聞いたことがない。
世界のどこかの少数民族にありそうだけど、それを全国規模で行っている民族は日本人だけだろう。
この信仰が生まれた理由には付喪神(つくもがみ)が関係ありそうだ。
ずっと使い続けてきた道具には(100年といわれる)、神や霊魂が宿るという考え方が日本には古くからある。これが付喪神だ。
室町時代の絵巻物「付喪神絵巻」にはこうある。
器物は百年経つと精霊を宿し付喪神となるため、人々は「煤払い」と称して毎年立春前に古道具を路地に捨てていた。廃棄された器物たちが腹を立てて節分の夜に妖怪となり一揆を起こすが、人間や護法童子に懲らしめられ、最終的には仏教に帰依をする。
室町時代の絵。
これらが道具の妖怪、付喪神と考えられている。
いままでに外国人のキリスト教徒、仏教徒、ヒンドゥー教徒、イスラーム教徒、道教の信者に話を聞いてみたけど、「付喪神」のような存在のある宗教はない。
ミャンマー人の仏教徒から、「生前着ていた服に死んだ人の霊魂が宿るという考え方はある。だから、その服にお坊さんの読経を聞かせて成仏させる」という話は聞いたことがある。
でもこれは付喪神とはまったく違う。
物に霊魂が宿るというのは神道の考え方から生まれた日本人独特の信仰だろう。
針やメガネや免許、さらにポケベルまでいろんな物を供養する目的には、感謝だけではなくて付喪神のような妖怪になるのを防ぐことがあると思う。
「廃棄された器物たちが腹を立てて節分の夜に妖怪となり一揆を起こす」という室町時代のような考え方が伝統的にあって、物の霊魂を成仏させてから処分するようになった。
つまり、物の供養には感謝と恐れの気持ちがある。
こんな信仰は見たことないから、いまでも外国人は「日本人は世界でも際立つ興味深い民族だ」と思ってしまう。
おまけ
前にアメリカ人とタイ人から、「人形もゴミ箱に捨てる」と聞いて驚いた。
「自分は宗教を信じない」と言う日本人でも、ためらわず人形を捨てられる人は少ないと思う。
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ポケベル使ったことがないんです。 「ポ~ケベルが~鳴らなくて~♪」は知ってますがFISH&CHIPS知らない(^▽^;) あとでYouTubeで調べよう。 kokonさんは知ってましたか?
眼鏡はだって~分身だもん。 近視だからある意味自分の目だもん。 新しい眼鏡買ったら今までありがとうって思うよね~。 他国にはやっぱそういうのはないんですね~。 万物の物には霊(魂)が宿るって世界広しと言えど日本独特の感性なんですね。 面白いですね(*^^*) ちなみに私は前に使ってた財布を供養したいです。
わたしはポケベル世代の人間ですけど、FISH&CHIPSは初耳でした。
なんでポケベルにこれが?という思いですよ。
これはいま付け足したことですけど、アメリカ人やタイ人に「人形はゴミ箱に捨てる」と聞いて驚きました。
ポケベルやメガネはともかく、人形も完全に物質扱いです。
日本人とは違うなあ、と思います。