【台湾夫婦の基隆別れ】日本人と台湾人の関係、今むかし

 

いまの日本人と台湾人の関係はどんなものなのか?
ネットで検索すると、恋愛関係が多いようだ。

でもこれは昔も同じ。

 

はじめて台湾を旅行するなら、ほとんどの人は台湾最大の都市・台北に行くと思う。
そこから30分ほどバスにゆられると、基隆(ジーロン、きいるん)という港町に到着する。

 

 

ここは日本が育てた。と言っていいと思う。
台湾北部にある基隆は日本に最も近いことから、ここが台湾の“玄関”になった。
統治時代、日本はこここを近代湾港として整備したことから、いまの基隆がはじまる。

基隆市のウェブサイトにはこんな説明がある。

1916年、基隆港の貿易額はすでに淡水を超え、さらに一度は高雄港までもを超えて、台湾で最も主要な商業港となりました。

日治時代

 

基隆は台湾の入り口と同時に日本(内地)への出口でもあった。
現代と同じように、当時の日本人と台湾人が恋愛関係におちいることはよくあって、内地への帰還命令が出ると、ここで泣く泣く別れる日台カップルがたくさんいた。

1942年(昭和17年)に台湾を訪れた小説家の豊島 与志雄は、「台湾夫婦の基隆別れ」という言葉を紹介している。
*俚諺(りげん:世間で伝わることわざ)

台湾夫婦の基隆別れ…… という俚諺がある。(中略)雨港たる基隆埠頭の 一 情景であろう。然し、こういう俚諺が特に生じたところに意味がある。彼は彼女と別れて内地に帰ってゆく―― 俚諺に歌われるほど多くの彼等が頻繁に帰ってゆくのだ。

「台湾の姿態 (豊島 与志雄)」

 

雨がよく降ることから、基隆港は「雨港」と言われていた。
別れの情景にはふさわしい。
といってもこの「台湾夫婦」という関係は、現代の感覚からすると、あまりほめられたものではないと思う。

台北でお世話になったゲストハウスのオーナーが台湾人女性と結婚した日本人男性で、付き合ったきっかけを聞いたら、その人は情が熱いし厚かったからという。
喜怒哀楽がはっきりしていて、自分が受けた恩は忘れないで「今度はわたしの番」と何かの機会にちゃんと返す。
でもその分、ケンカになると激しい。
統治時代の日本人と台湾人もこんな感じで、ときには基隆港で血の雨が降ったと思う。

 

おまけ

台風19号で大きな被害を受けた日本に台湾の蔡英文総統が、「被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。日本は我々にとってもっとも大事な友人です。いつでも支援に駆けつけます」とツイッターに日本語でメッセージを送ってくれた。
これに対して安倍首相は日本語と中国語で、「台湾が常に我々と共にある、という気持ちになります」「台湾は、我々にとって、基本的な価値観を共有する重要なパートナーであり、大切な友人です」と返している。

今も昔も日台友好に変化なし。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。