今回の内容
・イギリスの友だちをつくるときに大切なこと
・チョイと前回のおさらいを
・スコットランド王国の消滅
・民族の記憶
・イギリスの友だちをつくるときに大切なこと
イギリス人と友だちをつくるときには、気をつけた方いいことがあるらしい。
イギリス人が書いた、イギリス文化についてのコラムでこんなものがある。
これはイギリス人の友達を作る時に大切な事です。スコットランド人をイングランド人と呼ぶと失礼な事になります。
別に怒られるというわけではありませんが、彼らのプライドを傷付ける事になると思います。そしてイギリス人とビジネスをする場合にも、この事について理解出来ていれば、ビジネス関係は上手く行くと思います。
「スコットランド人に、『あなたは、イングランド人(イングリッシュ)ですか?』」と言ってはいけない。
これはスコットランド人にとっては、失礼というより挑発行為に近い。
相手はまず間違いなく、不快になるか怒りだす。
なぜなら、スコットランド人はイングランドを嫌いな人が多いから。
では、なんでスコットランド人はイングランドが嫌いなのか?
今回の記事では、その理由(歴史)について書いていく。
スコットランドといえばバグパイプにキルトが有名。
スコットランド人を父親に持つイギリス人と話していたとき、これを何気なく「スカート」と呼んだら、「それは失礼。スコットランド人は怒りますよ」と言われた。
このイギリス人が言うにはサッカーやラグビーなどでイングランドとフランスが対戦すると、スコットランド人はフランスを応援する。
とにかくイングランドには勝ってほしくないらしい。
そんな隣人がいるなんて日本には想像できない。…こともない。
・チョイと前回のおさらいを
イングランドの国王チャールズ1世はスコットランドに「イギリス国教会」という宗教(キリスト教)を押しつけた。
「おまえたちが信仰している宗教は認めない。これからはこのイギリス国教会(イギリスのキリスト教)を信仰しろ!」
そう言われたスコットランド人は武器を持って立ち上がった。
彼がスコットランド人にイギリス国教会の「祈禱書」を強制すると、彼らは反乱に立ち上がり、イングランドに攻め込んだ。
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チャールズ1世はこの反乱軍と戦うため、増税によって戦費をひねり出そうとした。
だけど、「勝手に税金を上げるな!」というイングランドの議会と対立してしまう。
そしてイギリス革命がおきて、チャールズ1世は首を斧で切断されて処刑されてしまった。
・スコットランド王国の消滅
1034年(日本だと平安時代)に誕生したスコットランド王国は、1707年にイングランドと1つの国になることで消滅した。
外務省のホームページにある「スコットランドとは」から。
かつては「スコットランド王国」として独立したひとつの国でしたが,1707年にスコットランド王国とイングランド王国が合併し「グレートブリテン連合王国」が成立。
これによってスコットランドは議会がなくなってしまう。
さらにこの合併はイングランド側が主導権をもっていた。
スコットランドは嫌々ながら議会を解散して、イングランドの下になったというような状態。
イングランド優位のこの合併に反対するスコットランド人がたくさんでてくる。
当然ながら、この合同に反対運動が巻き起こった。ジャコバイト運動は、これを機にスコットランドの独立を取り戻そうとする運動でもあった。1715年の反乱の手際がよければ独立は成功していたかもしれない、と今でも指摘される。
しかし、この反乱は結局鎮圧され、さらにグレンコーの虐殺や氏族制度解体が行われた。イングランドへの恨みと背中合わせに、ローランドを中心にイングランド化が進んでいった。
(ウィキペディア)
スコットランド王国がなくなったことやこうした虐殺の恨みは、今のスコットランド人の「イングランドが嫌い!」という気持ちに結びついているはず。
・民族の記憶
イングランドに合併されたとはいえ、約700年もの間、スコットランドは独立国として存在していた。
そのスコットランド王国の記憶が、簡単に消えることはない。
さらには、合併のときに抱いたイングランドへの恨みも。
それらのことが、現在のスコットランド人がもつ「反イングランド感情」の大きな原因になっている。
そして、「イングランドが嫌い」という感情から、スコットランドではイギリスからの独立を願う気持ちも大きい。
スコットランド人のそうした気持ちをくんで、イギリス政府はスコットランドの自主性を認めることにした。
スコットランドは,歴史や文化だけではなく,司法制度や教育制度においても独自の特色を有しています。1999年,英国政府からの権限移譲により,スコットランド議会及びスコットランド自治政府が創設されました。
1707年にスコットランド王国がなくなってから、約300年ぶりにスコットランド議会が復活することになった。
この連合条約によってスコットランド独自の議会は消滅していたが、1997年の住民投票によってスコットランド議会の復活が決定。99年5月、約300年ぶりの議会選挙が行われ、6月に行政府が発足した。
(ウィキペディア)
以前のように、スコットランドが1つの国として復活した感じだ。
イングランドと1つになっても、スコットランド人の民族性は300年間も消えることはなかった。
このことを知ると、「民族を越える」なんて軽々しく言うことはできない。
民族は、何百年たっても自分たちの民族の記憶を忘れない。
異なる民族が、仲良く一緒に住むのはいい。
けれど、「民族を越えて1つの同じ人間になる」なんて、できるワケがない。
ソビエト連邦やユーゴスラヴィアが崩壊した後、いろいろな国が生まれたことを見てもそう思う。
民族の記憶や民族性を消すなんてことはできないし、してはいけない。
スコットランド人がイングランドを嫌うの理由の一番深いところには、スコットランド人の民族としての記憶があるはずだ。
さて今回の復習ですよ。
・イギリスでもっとも信仰されている宗教はなに?
・1707年にスコットランド王国とイングランド王国が合併してできた国はなに?
・1034年にスコットランド王国が誕生したとき、日本は何時代だった?
答え
・イギリス国教会
・グレートブリテン連合王国
・平安時代
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