インドで起こることは展開がよく分からない。
日本でもありそうな原因から騒動が始まって、日本では考えられないような結果になることがよくあるのだ。
たとえば女人禁制のヒンドゥー教寺院に女性が入ったことで信者が怒り、抗議活動をする。
そこまでは理解できるけど、その結果、5800人が逮捕されるというのが分からない。
どうしたらそんな事態になるのか?
くわしいことはこの記事をどうぞ。
インドの人口が日本の約10倍としてもこの逮捕者は多すぎでしょ。
日本では1969年に457人の逮捕者をだした東大安田講堂事件が起きたけど、これは戦後史に残る大事件だ。
でもインドでは、これぐらいのスケールの争いがわりとカジュアルに起こる。
餅は餅屋、インドのことはインド人に聞け。
ということでこのまえ、南インド出身でいまは日本で働いているインド人とご飯を食べに行ったときに、その騒動について意見を聞いてみた。
ちなみに今回の件では、インドの最高裁が寺の女人禁制を違法と判断している。
だからボクは「法律 vs 宗教(信仰心)」という対立構図だと思っていたけど、彼はインドの「南北差」を指摘した。
インドは大きく南と北に分けられる。
ヒンディー語は北部の言語で、南部には話せない人がたくさんいる。
話を聞いたインド人の母語はタミル語で、ヒンドィー語は学校で習っていないから話すことができない。
それと南部に比べて、北部には宗教に熱心な人が多いのも特徴だ。
だからカーストによる差別騒ぎも北部でよく起こる。
ヒンドゥー教徒は牛を神聖視するから牛肉を食べるのは厳禁だけど、南部にはビーフカレーを出すレストランがあってかなり驚いた。
女人禁制を破ったことで激怒したのも北部のインド人で、そういう連中が南下してきて、その寺院の周りで大騒ぎをしたと彼は言う。
きっかけは南部のヒンドゥー教寺院だけど、北部の人間がそこで暴れるという状況は、彼としては不本意で「すごく迷惑です」と話していた。
南部のインド人だけなら、これほどの騒ぎにはならなかったという。
チョイと話はそれるけど、これはハロウィンのときの渋谷区民の気持ちに近いと思う。
ことしはまだマシだったらしいけど、ハロウィンの渋谷は毎年カオスで、路上にゴミが散乱して痴漢や暴行で逮捕者も出る。
前に渋谷在住という人がネットに、区外の人間が渋谷に集まってバカ騒ぎしたのに「渋谷の人間は民度が低い」「渋谷は汚い」と言われるのは納得がいかない、といった怒りのコメントをしていた。
この渋谷区民も「すごく迷惑です」という思いだろう。
話はインドに戻る。
今回のケースでは女人禁制のお寺に女性が入ったことで大暴動に発展したけど、そのインド人の見方では、これは宗教問題というより政治問題。
悪いのは女性でも裁判所でもなくて、インドの政治家たち。
政治家が人々の信仰心を刺激して怒りをあおった結果、5800人の逮捕者を出す大騒ぎになったという。
インドでは政治家や政権が支持率アップのために、人々の信仰心を利用することがよくある。
教育を受けていない人ほど誘導されて、過激になりやすい。
いまの政権与党・インド人民党(BJP)にその傾向があって、この騒動もBJPの政治家がヒンドゥー教徒をあおった結果と彼はにらんでいる。
ヒンドゥー至上主義政党でイスラム教やキリスト教をインドの価値観に合致しないとして批判するが、シヴ・セーナーに比べ穏健である。
ウィキペディアの説明には、「保守政党であるが、政教分離やカースト解消などには基本的に賛成である。」と書いてあるけど、いまのBJPを見るとこれはかなり眉唾。
特に「政教分離」についてインド人に聞いてほしい。
「BJPは政教分離には基本的に賛成である」なんて言ったら、「なわけねえだろ」とあきれると思う。
ボクは今回の騒動を信仰や伝統と法律がぶつかった結果とみていたけど、話を聞いたインド人の見方では、その対立の背後には憎悪をあおった人間がいてそいつらが一番悪い。
「国民の教育レベルが低いと、民主主義はただの人気取りになってしまいます」とため息をつく。
彼にとって日本の魅力は上のような宗教対立がまったくなくて、毎日平和に過ごせるところ。
日本人は信仰が薄くて教育レベルが高い。その点では北インドより南インドの人たちに近い。
ハロウィンもクリスマスも初詣もイベント感覚で、だれでも楽しむことができる。
インドの南北は言葉が通じないほど違うけど、日本は全体的にすごくまとまっている。
それはそれでいいことばかりではないけど、インド人の彼には心底うらやましいらしい。
おまけ
ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシ
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