【遺題継承】江戸時代に日本の数学が世界レベルだった理由

 

いままで64年間、だれも解けなかった数学の超難問がやっと解けた。
整数を3乗した数を三つ、足したり引いたりして1~100をつくるという問題らしいのだけど、すまんがさっぱり分からんから、くわしいことは朝日新聞の記事(2019年10月24)を見てほしい。

60年解けなかった数学の難題 世界中のPCつなぎ解決

まあとにかく、欧米の数学者が世界中のパソコン50万台をネットワークでつないで計算させたことで、未知の世界に達することができたわけだ。
言ってみればこのネットワークは「横」で、これを縦につなげると、江戸時代の日本人がおこなってきた「遺題継承」(いだいけいしょう)になる。

 

江戸時代、いまでいう数学は「和算」と呼ばれていた。
和算は中国から伝わった数学が日本で独自の発達をとげたもので、西欧数学のレベルにまで高められた。
当時はだれも気付いていなかっただろうけど、日本は世界最高水準に到達したのだ。
神ではなくて、人が起こす奇跡や成功には必ずタネや仕掛けがある。
和算の場合には「遺題継承」というタネがあって、吉田光由(みつよし)という和算家がしかけた。

17世紀に吉田光由が、自分では解くことができなかった12の問題を塵劫記(じんこうき)という和算書に記し、これを「遺題」として解決を次の時代の日本人へたくす。
吉田は「実力ありと思うものは、これを解いてみよ」と挑発的な文を書く。

これが始まりとなって、次代の日本人が先代の遺題を解いて、今度はその人が自分の遺題を後世に伝えることが風習となる。

後の学者に対する出題を当時は「好み」「遺題」と呼び、遺題を解こうとする学者が研究してその答えを自分の著書に載せる。その後は自分も新たな問題を作成し、自身の著書に掲載して後世に受け継がれていった。

遺題継承

 

パソコン50万台をつないだのは「横」のネットワークで、遺題継承では時代を縦につないでいる。
この独自の文化によって、日本人の数学レベルは飛躍的に向上した。

これは「伏題」と呼ばれ、西欧の行列式に該当するもので、この方法の発明では世界で日本が最初である。いわばわずか半世紀で世界のトップに躍り出たような感じで

「日本人とは何か。(下巻) 山本 七平」

伏題や行列式はというのはよく分からんが、とにかく世界最高峰らしい。

 

「日本数学史上、最高の英雄的人物」と絶賛された関孝和

 

関孝和(生年不明 – 1708年)は日本の数学史上、最高の人物といっていいレベルの天才だ。
高校日本史なら確実に、たぶん中学校の歴史の授業でもならう。

関孝和

筆算式の代数学や方程式の研究,行列式の発見,円に関する数式の樹立など,日本独自の数学である「和算」を確立。その水準は同時代の西洋の数学に匹敵した。

「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」

 

個人の努力や資質もすごかったのだろうけど、関孝和は和算の伝統の中で誕生した。
「やつはわしが育てた」と遺題継承は言っていい。

 

関孝和の『括要算法』にある、ベルヌーイ数や二項係数について書かれたページ

 

 

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4 件のコメント

  • 関孝和は個人としてもすごいのですが、それを生んだのは遺題継承という日本文化でした。
    これは本当に素晴らしいものだと思います。

  • 今の世の≪…「遺題継承」…≫として、『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』を掲示する。

     この風景は、言葉ヒフミヨ(1234)とカタチ(〇△▢ながしかく)と言葉の点線面への【分節・融合】とか・・・
     
    数の言葉ヒフミヨ(1234)と演算符号(+ - × ÷ √ =)が繋がるとか・・・

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。