きょうの話はカンボジアの歴史について。
面積は日本のほぼ半分、人口は約2割の小さなこの国を見ると、国土が♡のように見える。
見えなかったら、そう念じてみよう。
きっとハート型に見えてくる。
でもこの形には悲しい理由があった。
上の遺跡はカンボジアが世界に誇る至宝・アンコールワット。
(1866年のフランス時代に撮影されたもの)
アンコールワットが建てられたのはクメール王朝の時代で、最盛期のクメール王国は東南アジアのほとんどを支配していた。(900年ごろ)
でも人の世は盛者必衰で、人間の勝利に常勝はあっても永遠はない。
どんなに勢いのある者もいつかおとろえ滅びる。
そんな平家物語の理(ことわり)はクメール王朝にもあてはまる。
元(中国)やシャム(タイ)の侵攻などによって国力はみるみるうちに弱体化して、クメール王朝は15世紀に地上から消滅した。
このあと「カンボジアの暗黒時代」とよばれる踏んだり蹴ったりの不遇の時代を何とか乗り越えたけど、とうとう19世紀にフランスの植民地となってしまう。
カンボジア・ベトナム・ラオスの3つを合わせて「フランス領インドシナ」となる。
その後、太平洋戦争に突入するとこの地に日本軍がやってきてフランス軍を制圧したことで、カンボジアは独立を宣言する。
*くわしいことは別の記事で書くつもりだけど、このへんの歴史に興味のある人は「明号作戦」をクリック。
でも日本の敗戦後、カンボジアはまたフランスの支配下に置かれたものの、独立運動を続けた結果、1953年に完全独立を達成。
15世紀にクメール王朝が滅亡してから、カンボジアの歴史は外部勢力に翻ろうされっぱなしだ。
カンボジアを旅行していたときに、「カンボジアの国土はハートの形をしている」という話を現地の日本語ガイドから聞いた。
大帝国だったカンボジアは力を失い、海岸部分という「おいしいところ」をタイとベトナムに奪われた結果、いまの国の形になったとガイドは言う。
この話が印象に残ったから、他のカンボジア人にこの話をどう思うかたずねると、「そのとおり」とみんな同意する。
タイやベトナムについては、表現は悪いけど、「国土を盗んだ泥棒のような国」と思っているカンボジア人は多いと思う。
話を聞いていてそう感じた。
ハート型のカンボジアの国の形は、栄光からの転落とその後のつらく悲しい歴史を象徴しているのだ。
そんな経験をしたせいか、カンボジア人の領土への情熱はすごすぎる。
日本人ならきっと超絶ドン引きだけど、無料で腕に国土のタトゥーを入れるというキャンペーンが人気を集めているらしい。
これはシークレット個人情報なのだけど、ボクはカンボジアに5回ぐらい行ったことがある。
アンコールワットのあるシェムリアップでの宿はいつも「タケオゲストハウス」。
このドミトリーは1ベッド2ドル(約250円)と爆安だ。
今回の記事を書いているときに、偶然、ラチャナという女性オーナーが亡くなったと知って、いまかなりの衝撃を受けている。
まだ27歳なのに。
思い入れのある宿だから、シェムリアップに行ったらぜひここに泊まってほしい。
でもきれいさを求める人にはあまりおススメできないから、そういうときはここのツアーを利用してほしい。
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