10年ほどまえのカンボジア旅行で、北部のラタナキリに行った。
ラタナキリにはいろいろな少数民族が生活していて、いまは分からないけど、当時は秘境のようなところ。
でもここでの話ではラタナキリではなくて、その途中にあった橋のこと。
首都プノンペンから長距離タクシーでラタナキリへ向かっているとき、ボクが日本人とわかると、乗客が「では、おまえに見せたいものがある」と言う。
彼がドライバーに何か言うと、ドライバーはスピードを落とす。
「あれだ」とカンボジア人の指さす先には、日の丸があった。
「スパン」はカンボジアの言葉で橋という意味。
つまり、これは「キズナ橋」。
この橋は日本の援助によってつくられた。
それで日本への感謝やカンボジアと日本の友好を願う気持ちから、「キズナ橋」と名づけたという。
このことから分かるように、カンボジアは本当に親日的な国で日本との関係もいい。
今回の記事では、そんなカンボジアの親日っぷりを紹介させてほしいと思う。
でもその前に、カンボジアという国を簡単に知っていこう。
面積:18.1万平方キロメートル(日本の約2分の1弱)
人口:14.7百万人(2013年、日本の約9分の1)
首都:プノンペン
プノンは丘でペンは女性の名前。
プノンペンとは「ペン(夫人)の丘」という意味。
民族:人口の90%がカンボジア人(クメール人)とされている。
言語:カンボジア語
宗教:仏教(一部少数民族はイスラム教)
以上は、外務省ホームページ「カンボジア王国(Kingdom of Cambodia) 基礎データ」から。
このホームページには、カンボジアの歴史が簡単に書いてある。
例えばこんな感じ。
「9~13世紀 現在のアンコール遺跡地方を拠点にインドシナ半島の大部分を支配」
日本でも有名なアンコールワットはこの時代に建てられた。
日本はむかしから遺跡修復の支援している。
外務省ホームページにはこんなことも書いてある。
「1992年 国連カンボジア暫定機構(UNTAC)活動開始(1992~93年、日本初の国連PKO参加。)」
そう。
日本が初めてPKOに参加した国がカンボジアだったのだ。
ちなみに、PKO(peace-keeping operations:平和維持活動)ってのはこんな活動のことですよ。
平和を脅かす局地的な紛争に際して,国連が小規模の軍隊ないし軍事監視団を派遣して事態の平穏化をはかり,平和の維持,回復のために行う暫定的な行動。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
むかしのカンボジアは栄えていた。
プノンペンは「東洋のパリ」と呼ばれるほど豊かだったのだけど、1970年代のポル=ポト政権時代に大量虐殺が行われ街は破壊される。
その後に内戦が起きて、カンボジア全土が荒廃してしまう。
1990年代のカンボジアを見た武論尊氏が衝撃を受けて、それが北斗の拳の世界観になった。
くわしいことはこの記事をどうぞ。
そんなカンボジアに現れたのは、ケンシロウではなくて自衛隊。
平和の維持や回復のため、道路や橋をつくるために自衛隊がカンボジアに派遣された。
ニュースポストセブンの記事(2018.07.25 07)に、このときの自衛隊の活躍と現地の人たちの声が載っている。
先ほど書いたように、自衛隊員はカンボジア復興のために協力を惜しまず汗を流した。
記事では、情報局の職員だったサオ・サリ氏が感謝の言葉を口にしている。
「自衛隊がやって来たときは本当に嬉しかった。自衛隊は道路や橋をつくり、あるいは修復してくれたし、村の人々とも温かい交流があった。当時はまだ近くにポル・ポト派兵士がいたので危険でしたが、自衛隊が守ってくれていたので人々は夜でも明るくして生活できたし、安心して眠れました。(中略)我々は日本の自衛隊に感謝し、その恩を忘れません」
日本が好きになったカンボジア人が娘に「カオリ」、息子に「キンタロウ」という名前をつけたという。
ボクがカンボジアに初めて行ったのは1995年で、まだたくさんのカンボジア人が自衛隊のことを覚えていた。
そんなカンボジア人から聞いた話で驚いたことがある。
国連のPKO部隊がカンボジアに来てから、カンボジアでエイズが流行り出したという。
PKOの隊員がエイズを運んで来たのだ。
そのことについては「IWJブログ」というサイトで、立教大学特任准教授がこんな記事( 2014.7.21)を書いている。
PKO要員が現地の女性に対して犯す性的暴力は常に問題視され、上記のUNTACの略名がTransitional Authority(暫定統治)でなく、Transmitting AIDSと呼ばれたほど、PKO要員がカンボジアでエイズを伝染させたと言われています。
でも、自衛隊は違った。
隊員はカンボジア人にエイズをうつしてはいない。
規律正しく行動したことで、カンボジア人から尊敬を受けていたという。
現在の日本とカンボジアの良好な関係やカンボジア人の親日ぶりには、このときの自衛隊の態度が大きく影響している。
一般のカンボジア人が、広い範囲で直接日本人と接したのはこの時が初めて。
カンボジア人は日本をどう思っているのか?
それは紙幣を見ればわかる。
カンボジアの500リエル札には、カンボジア国旗とならんで日の丸が描かれているのだ。
この橋はキズナ橋。
これには日本のネットもビックリ。
・自国の紙幣に外国の国旗を描くのか
すげーな
・自衛隊が地雷除去やら道路の建設とかやってたのは知ってたけど、そんなに親日だったとは知らなんだ
・キズナアイと聞いて飛んできました
・そこまでやらんでもいいってw
・よし、アンコールワット行くわ
・猫ひろしは?
・後ろに旭日でもありゃあ完璧だったなw
・( ;∀;) イイハナシダナー
・親日はいいけど、こりゃやりすぎだろ
・こういうのは大事にしたい
・日本銀行券に日の丸描いてないのになw
いまネットで調べた範囲では、日の丸が描かれている紙幣を発行している国は世界でカンボジアだけ。
日本のお札ですら日の丸はない。
いったいどれだけ親日的なのか?
こういう国との関係はもっと深めていきたい。
レッツゴー・アンコールワット!
キズナ橋を走っている車はたぶん日産のジューク
ちなみに、ボクがカンボジアを旅行したときは、「ローズ」という日本語ガイドのお世話になった。
お札の画像も彼が送ってくれたもの。
ローズは日本語がうまいだけではなくて、日本人の好きなポイントもよく知っている。
カンボジア旅行に行くときは、彼に相談するといいと思う。
ワニを原付で運ぶカンボジアの日常。
しかもドライバーがワニの上に座ってるし。
この写真もローズが撮ったもの。
こちらの記事もどうぞ。
知ってましたか?「北斗の拳」とカンボジア(ポルポト時代)の意外な関係
そしてカンボジアは、地獄と化した「トゥールスレンとキリングフィールド」~ポルポト政権下のカンボジア人②~
紙幣に載っているのは知りませんでした。嬉しい事ですね。軍隊に娼婦は付き物だった事への反省の結果がレイプではやりきれないです。第一次大戦でヨーロッパに応援に行った日本兵が地元の娼婦を買って性病が蔓延した事を聞くと、軍と性の関わりは簡単ではないのだと思いました。
カンボジアは本当に親日的な国です。
アンコールワットの修復でも日本が活躍してますしね。
第一次世界大戦の話は初めて聞きました。
そんなことがあったのですか。