前回の記事ですこし「イタコ」に触れた。
イタコとは東北地方にいる巫女(みこ)で、亡くなった人の霊を自分の身体に憑依(ひょうい)させて死者のことばを語ることができるという人。
その意味では霊能力者に近い。
青森県・恐山のイタコは特に有名だ。
イタコには、「本当に死者の霊を呼ぶことができるのか?」という疑問がつきまとっている。
あるテレビ番組でアメリカの女優マリリンモンローの霊を呼び寄せてもらったところ、そのイタコは英語ではなくて東北弁(下北弁)を話していた。
でもこういう疑問は愚問で、イタコを試したり茶化したりするべきではない。
ここでは日本の信仰や伝統文化としてのイタコについて書いていきたい。
じっさい青森県の「津軽のイタコの習俗」と秋田県の「羽後のイタコの習俗」は、国の選択無形民俗文化財となっている。
イタコ
明治時代、鎖国状態にあったチベットにもぐり込んで、帰国後、チベットの実情を世に知らしめた日本人がいた。
そのチャレンジャーは川口慧海(えかい)というお坊さん。
高校日本史でならう人物だからおぼえておこう。
河口慧海
1866~1945 仏教学者・探検家。
1900年、密入国して日本人として初めてチベットのラサに入る。チベット仏教紹介は世界的な業績とされる。「日本史用語集 (山川出版)」
慧海の著書によると、チベットにもイタコのような仕事をする人がでてくる。
それは「ネーチュン」というチベット僧で、ネーチュンは死者の霊ではなくて神様を自分にのり移らせてその言葉を語る。
と当時のチベットでは信じられていたけど、実際にはインチキで、慧海はネーチュンを神の化身ではなくて「賄賂の化身」と呼んでいた。
ネーチュンは神をおろして裁判官として罪を裁くことができるから、悪事を働いた大臣が多額の金を握らせておくと、当日にはこんな判決がくだされる。
*宥しは「ゆるし」
「決して罰するな、余り罰すると国の運命に関わるからちょっと叱言をいって置く位がよかろ う。あれは元来善い男だけれども今度は心なしに誤ったんだから宥してやるがよかろう」
「チベット旅行記 ( 河口 慧海)」
これは神の声だからこの大臣は無罪放免。
こんなふうに、神や死者の霊を呼んで憑依させるというシャーマニズムや信仰は昔から世界各地にある。
日本のイタコはチベットのネーチュンとは違って、詐欺やワイロの化身ではない。
「口寄せ料金」は約30分で3000円という目安がある。
近年では東日本大震災のあと、亡くなった親や子どもの言葉を聞くためにたくさんの人がイタコを訪れた。
自分はいま極楽にいるから心配する必要はないとイタコの口から聞いて、地獄で苦しんでいないとわかって涙を流す人がいた。
イタコは傷ついた心を癒すカウンセラーでもある。
大事なことは料金が明瞭で、それで救われる人がいるという事実だ。
イタコのいる青森県の恐山
でも一年中いるわけではない。
そんなイタコがいま大ピンチ。
なり手がいなくて存亡の危機をむかえているのだ。
明治の始めごろには約500人いたイタコはいま、たった6人しかいない。
僧侶でジャーナリストの鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)氏が「プレジデントオンライン」で記事(11/12)を書いている。
青森の「最後のイタコ」が巫術を続ける理由
以下、この記事にもとづいて書いていく。
イタコは基本的に目の見えない女性がなるもの。
でも現代では公衆衛生や医療技術が進んでいるから昭和初期の東北のように、伝染病で失明することがまずない。
だから自然とイタコになれる人が少なくなっていった。
それに「弟子」を育てると、その弟子に「客」を取られる可能性がある。
こんなわけでイタコは弟子の育成に消極的だったという。
でも気づいたときにはもう6人しか残っていない。
30年以上前から毎年、イタコに「口寄せ」をしてもっている女性はこう話す。
義理の弟が今年で13回忌を迎えるので口寄せしてもらいました。とても懐かしい思いで胸が一杯になりました。私にとって口寄せは、お墓参りと同じく欠かせない習慣です。昔は、イタコは大変な人気で、順番を待つのも一苦労でした。
イタコの高齢化は進んでいて、いまでは最年少のイタコは松田広子さんという47歳の女性。
ちなみにこの人は盲目ではない。
「最後のイタコ」という松田さんがイタコの巫術や文化を残そうとがんばっているらしい。
言い方は悪いけどこれも「客商売」だから、時間のある人はぜひイタコに会って、口寄せをしてもらってくださいな。
ネーチュンは滅んだほうがいいけど、これは日本に伝わる伝統文化だから。
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