きょうも韓国は日帝残滓に悩んでいた。
中央日報の記事(2019.12.10)
「少女像のそばに日帝残滓があるとは」忠州朝鮮殖産銀行の保存が論議の的に
まずは「日帝残滓」という韓国語を確認しておこう。
現在の韓国に残っている日本統治時代の影響を、韓国の人たちは「日帝残滓」と呼ぶ。
残滓とは「残りかす」という意味だから、もちろんこれは悪いもの、社会から除去すべきものと考えられている。
具体例にはこんなものだ。
三三七拍子、訓話、朝会、運動会、修学旅行、幼稚園
貨幣単位の「ウォン」に印鑑登録、地番や戸籍などなど。
なかには「それ関係なくね?」と思われるものも、日帝の残滓にされている。
軍隊での内部暴力 – 相次ぐ軍内部での暴力問題について、軍当局は「日帝(日本帝国主義)時代の軍隊の残滓(ざんし)である殴打はほぼ根絶され、いじめも減っている」と日本統治時代のせいだと主張している。
話を冒頭の記事に戻すと、韓国の忠州市が「日帝強占期」に建てられた銀行の建物を税金を投じて復元しようとしたら、住民から反日パンチをくらったという。
市は建物を補修して近代文化展示館にするつもりだったけど、「日帝の支配と収奪の象徴を保存することをやめてほしい」と住民たちの反対にあっている。
住民の願いは建物の撤去だ。
文化財庁文化財委員会から、「西洋式石造建物の雰囲気を追求した日帝強占期銀行の建築技法と様式を見せる」という意見を受けて、忠州市は2年前にこの建物を文化財に登録した。
日本国浜松市民というまったく関係ないボクから言わせてもらえれば、歴史を伝えるこの建物にはそれだけで価値があるし(でも伝え方は正確に)、浜松も明治・大正時代の建物を文化展示館として活かしていてそれは成功しているから、市のアイデアには賛成だ。
でもそんなスイートな考え方は「市民の正義」におさえ込まれるだろう。
反対派は市に対してこんなふうに全面撤回を要求している。
「植民残滓であり凶物になった殖産銀行建物を復元するという忠州市の決定は歴史の本末を忘れた行動」
「予算審議の要請をはじめとする殖産銀行の復元に向けた事業計画を全面中断せよ」
でも、もう予算が使われて進行しているのだから、もしそう言うのなら計画を実行にうつす前に声を上げるべきだった。
まあ、浜松市民には1ミリも関係ないからどうでもいい。
建物の向かいに“平和の少女像”を建てた市民団体は「撤去しなければならない」とゆずらない。
「平和の少女像と600年の忠州歴史を大事に保っている官衙公園があるところに殖産銀行を保存するという発想を理解することができない」
自分たちはあとから像を建てておいて、「少女像のそばに日帝残滓があるとは」「理解することができない」と怒る感覚が理解できない。
平和の少女像を“汚す”から、文化財庁が価値を認めた建物を撤去しろという要求は理不尽だ。
貴重な建築物でも「日帝残滓」と言われたらそこでおしまい。
「反日愛国」を絶対正義にするから、こういうデタラメも正当化されてしまう。
「一緒に叫んでください、旭日旗は憎しみの旗だ」と政府が憎悪をあおるから、それに応じた国民社会ができあがる。
最近の韓国をみていると、市民の暴走に役所や企業が手を焼いたり、マスコミが憂慮したりすることが多い。
でも市民感情に火をつけたのは役所や企業、マスコミだったりする。
もう、そういうマッチポンプはやめればいいのに。
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