中国・武漢から始まった新型コロナウイルスのパニックが止まらまい。
2月20日の朝の時点で感染者数は約7万5000人、死者は2000人を超えた。
そのほとんどは中国だけど。
このまえドイツ人とスカイプで話したときに現地の様子を聞いたところ、その人が住んでいるところは世界的に有名なノイシュヴァンシュタイン城(上の写真)のすぐ近くで、そこでは中国人観光客が減ったぐらいで特に変化はない。
でも、死者を出したフランスではパリの日本料理店(オーナーは中国人)に「コロナウイルス、出て行け」という差別的な落書きがされるなど、ヨーロッパ全体では東洋人に対する視線は冷たくなっている。
ただ今回の内容はこれじゃない。
中世ヨーロッパ人にこの世の終わりを実感させた恐怖、ペスト(黒死病)について書いていこうと思う。
前代未聞のパニックにおちいった人々はどう行動して、ローマ・カトリック教会はどうなったか?
*当時のヨーロッパ人が「黒死」と呼んだ意味を知ってもらうために、ペスト感染者の写真を載せたからお覚悟を。
これがいま世界を混乱させている新型のコロナウイルス
くわしいことは2019新型コロナウイルスをクリック。
14~15世紀のヨーロッパで猛威をふるったペスト(黒死病)について、高校世界史ではこう習う。
黒死病
14世紀後半以降、数度にわたりヨーロッパをおそった疫病。1348年からの大流行は人口の3分の1を失わせ、農業人口の激減による社会・経済をまねき、人々の死生観にも大きな影響を与えた。
「世界史用語集 (山川出版)」
はっきりした数字は分かりようがないけど、ヨーロッパの全人口の30%~60%が死亡したとみられていて、イギリスやイタリアの都市や村では70~80%が死亡したというところもある。
ちなみに、戦闘機・戦車・機関銃・原子爆弾などが使われた太平洋戦争での日本人の死者の割合は約4%ということから、この数字がどれほど圧倒的で絶望的かわかるだろう。
このペストは中国で流行がはじまって、この菌を持つノミが付いた毛皮がイタリアに上陸したことから、全ヨーロッパに恐怖が広がったいう。
これが「黒死病」と呼ばれた理由は、このように皮膚が黒色になって死にいたる人が多かったから。
中世ヨーロッパのまさに闇歴史。
現代ならこれはペスト菌が原因とわかるけど、14世紀のヨーロッパ人には人知を超えた厄災だ。
「正しく怖れる」なんて洗練された行動ができるはずもなく、人々は見えない恐怖(ウイルス)に大混乱となりキリスト教徒(カトリック)はこ大流行の原因を「神の怒り」や「神が下した罰」ととらえる者が多くいた。
それで自分の身体にムチを打つ者がいたと思えば、毒蛇の肉を薬として患者にわたす医者もいた。
最大の罪は無知だった。
ボッカッチョが14世紀に書いた『デカメロン』でもペストについて触れている。
さて神の子の降誕から、歳月が、1348年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に、恐ろしい悪疫が流行しました。ことの起こりは、数年前東方諸国に始まって無数の生霊を滅ぼしたのち、休止することなく次から次へと蔓延して、禍災(わざわい)なことには西方の国へも伝染して来たものでございました。
救いを求めて教会が販売する「免罪符」を買ったり祈ったりしても、神父が“黒化”して死んでしまうのだから、カトリック教会の権威は地に落ちた。
いまの日本でも新型コロナウイルスの水際対策が失敗し、感染者が広がったことで政府は権威(支持率)を失った。
ただヨーロッパの場合、その結果(十字軍の失敗もある)、人々がローマ・カトリックに疑問を感じてキリスト教に縛られない、キリスト教の前にあったギリシアやローマの文化を参考に自由な表現をするようになった。
それがルネサンス。
さらにカトリック教会の権威失墜は16世紀の宗教改革を呼び、プロテスタントを生み出すことにもつながった。
このへんのことはNHK高校講座の「ルネサンスと宗教改革」にくわしい説明がある。
新型肺炎が去ったあとの日本では、こんな素敵な出来事はきっと何もない。
オリンピックが不安でしょうがなです。
このとき生まれた「quarantine」(検疫)という言葉や上の「死の舞踏」についてはこの記事をどうぞ。
確か以前にここのブログ主さんも書いていたと思いますが、中世ヨーロッパでペストが流行した理由の一つとして、猫が悪魔の使いとみなされて片っ端から駆除されてしまったために、ネズミが大増殖したこともその理由であると。そういう説があったと記憶しています。
猫をイジメないでくださいね。中世ヨーロッパ人のように罰が当たりますよ。
本当に無知とは罪ですね。
私は動物をいじめたりしませんからご安心を。