奈良県のサイトいかす・ならに、「この池から眺める五重塔は、水面に映し出された塔と周囲の柳もあいまって、例えようもなく美しい」と称賛されているのが、興福寺のすぐ隣にあるこの猿渡池。
猿渡池は奈良八景のひとつで、以前、旅行でやってきた台湾人もこれを見て「日本らしいところですね」と気に入っていた。
池の柳は中国っぽいけど木造の五重塔は日本ならでは、とブラックサンダーを食べながら言っていた気がするあの日の夏。
8世紀に興福寺が「放生会(ほうじょうえ)」をおこなう放生池として、ここに人口いけをつくったのが猿沢池のはじまりだ。
放生会というの仏教的な善行で、辞書的には「殺生を戒める仏教の教えにより,魚鳥など生きものを放って肉食や殺生を戒める儀式。慈悲の実践を意味する(百科事典マイペディアの解説)」というもの。
放生会は仏教の教えにもとづく宗教儀式だから、キリスト教やイスラーム教ではきっとこんなことはしない。
でも、でもあえて言えば、アメリカで似たようなことがある。
毎年11月の第4木曜日、感謝祭(サンクスギビング)の日には七面鳥を食べるのがお約束だけど、殺される運命にあった七面鳥が二羽、大統領から恩赦を受けて解放される「Turkey Pardon」という行事が感謝祭の朝にホワイトハウスでおこなわれる。
大統領の慈悲を受けた七面鳥はその後、農場に送られて、人間に食べられることなく一生を過ごすという。
話を放生会に戻すと、毎年4月17日に興福寺の放生会がおこなわれて、金魚やコイを猿沢池に放している。
でも、時代や人々の意識の変化を受けて、今年のやり方はいつもとちょっと違う。
毎日新聞(2020年4月11日)
数年前からツイッターなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上で「池に元からいなかった金魚を放つのは自然破壊と虐待」「無責任に放してカメのエサにするのは放生会じゃないでしょ」などの批判が相次いで寄せられるようになった。
「金魚放流やめます」殺生戒める伝統行事・興福寺の放生会 虐待批判受け 奈良
「生態系破壊につながる」「虐待だ」といった批判を受けて、興福寺は金魚の放流をやめることにした。
もちろん放生会という仏教行事はこれからも続けられるから、この文化がなくなったわけではない。
このとき興福寺がよかったのが、「批判うぜえ」と一蹴することなく、「もう面倒くせえ!」と怒って池の水を全部抜いたりもせず、まずは近畿大に科学的な調査を依頼したこと。
近代の学術調査によると猿沢池に金魚を放した場合、カメに食べられるなどして池の環境になじめず早く死ぬ可能性が高く、目立つ色をしているから鳥にも捕食されやすいことが判明。
鳥が集まりやすくなれば、池の他の生物もねらわれてしまう。
こうした生態系への影響と「殺生を戒める」という仏教の教えとも違っていることから、興福寺は金魚だけ放生しないことにした。
「投げ入れるのがかわいそう」という声にもこたえて、ことしからは魚専用スロープを使って優しく池に放流するという。
「伝統の宗教行事を続けながら、池の環境を守り、100年先、200年先も誇れる猿沢池にしたい」と興福寺の関係者は記事で話している。
これにネットの反応は?
・ていうかそもそもその池、人工物じゃないの?
・なんかおかしいな 捕まえてまた放すのなら最初から捕まえない方がいいんじゃね?
・切れた和尚がブラックバスをリリースするのを見たい
・金魚迷惑
・毎年この行事を楽しみにしてた鳥さん達がいるのに
・ツイッターの意見って、何で採用されやすいのだろう?
・いちいち面倒くさい世の中だな。
・バケツでバッシャーン!とやってたもんな
時代や意識が変わって、無視できないほどの批判が集まったら、「宗教行事だから」「伝統文化だから」という主張を押し通してそのまま続けていくことはむずかしい。
いまはスマホがあれば、誰でいつでも自分の声を世界中に伝えられるのだから。
伝統行事の何を残すか、どんな形で継続するかを判断するには客観的な根拠が必要で、それには学術的な調査がぴったり。
それでも寄せられる批判には、こたえていたらキリがない。
池の水をなくしても「生物への虐待だ!」と言うだろうから、最後に必要なのはスルーの力だ。
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