ほんじつ6月18日は「おにぎりの日」。
これは日本最古のおにぎりが発掘されたという石川県の中能登町(旧鹿西町)が制定した記念日で、「鹿(ろく)」と「米食の日」の18日を組み合わせて爆誕。
*米は「十」と「八」に分解できるから毎月18日は米食の日なのだ。
でもいまの日本にあるおにぎりの直接の起源は、平安時代の「屯食」(とんじき)と考えられている。
ということで今回は、日本の国民食「おにぎり」と日本人の食と精神の象徴である「米」について書いていこうと思う。
日本に10年以上住んでいる知人のアメリカ人は日本人の子供から大人まで、「あなたの好きな/嫌いな日本食は何ですか?」という質問をこれまで50回以上は受けてきた。
英会話のレッスンで相手が「お客さん」ならいいけど、プライベートでこんな質問をされるとウンザリして会話をする気がなくなるらしい。
彼はそう質問されると、「では、あなたの好きな/嫌いな日本の食べ物は何ですか?」と聞き返すことが多い。
その経験から言うと、おにぎりが嫌いな日本人は存在しない。
梅や明太子など特定の具が嫌いな人はいるけど、必ずお気に入りがあるから、おにぎり自体を嫌いという日本人には会ったことがないとアメリカ人は主張する。
おにぎりの構成要素の大部分は米だから(特に塩おにぎり)、おにぎりが嫌いというのはお米が嫌いというのも同然で、そうなったら日本食が食べられなくなってしまう。
だかあおにぎりが嫌いな日本人はいない、という彼の説はきっと正しい。
6月18日は「おにぎりの日」で、1月17日は「おむすびの日」。
*これは1995年1月17日に発生した阪神大震災に由来する。
この国民食には「おにぎり」と「おむすび」というこの言い方があるけど、これは地域の違いでどっちも同じだ。
一般的には東日本では「おにぎり」、西日本では「おむすび」と呼ばれている。と言われるけど、いまではごちゃごちゃになっていてこうした地域差はなくなっている。
ただ九州や沖縄は「にぎりめし」や「にぎり」と呼ばれることがほとんどらしい。
日本のおにぎりは韓国にも伝わって、三角(サムガク)キムパプと呼ばれている。
閑話休題(かんわきゅうだい)。
「おにぎり嫌いの日本人はいない」とアメリカ人が確信するほど、日本人がおにぎりを好きな理由は何と言っても日本のお米がおいしいから。
いまでは海外でも高く評価される日本米、これを語る上で欠かせない人物がいるから、もし知らなかったら「おにぎりの日」にぜひ覚えてほしい。
日本米の「飛車・角」的な代表的なお米にコシヒカリとササニシキがある。
これは農林1号(水稲農林1号)という品種から生まれたお米だから、コシヒカリとササニシキは「兄弟」みたいなもの。姉妹でもいいけど。
1931年(昭和6年)にこの農林1号を育成したのが並河成資(なみかわ しげすけ)だ。
いまウィキペディアには農林1号の項目はあるけど、「日本米の父」と呼んでいい並河成資の項目はない。
イネ品種としては初めて農林登録された。後にコシヒカリなどの品種の交配親に用いられ、多数のイネ品種の祖先となっている。
並河成資の偉大さを知るなら、コシヒカリやササニシキのない日本を想像すれば十分。
大正生まれの評論家、山本七平氏はこの農林1号を「世界ではじめての『寒冷地用水稲』」と書いている。
これが誕生したことで、寒い北陸や東北でおいしい米がとれるようなり、さらにこの米は食糧難に苦しむ日本人の救世者となった。
これによってどれだけ多くの人が救われたかわからない。それは単に東北の農民を冷害から救っただけでなく、戦中戦後の食糧事情の苦しいとき、多くの人を飢餓や栄養失調から救った。「農林1号」は、ある意味では何よりも貴い資産であり、その後の品種改良の第一歩であった。
「昭和東京ものがたり (山本七平)」
いまの日本では考えられないけど、昭和のはじめまでは、米がとれないと娘を売りに出すこと(身売り)が行われていたのだ。
くわしくは秋田県のホームページをどうぞ。
凶作が決定的となった昭和9年、県保安課がまとめた娘の身売りの実態によると「父母を兄弟を飢餓線より救うべく、悲しい犠牲となって他国に嫁ぐ悲しき彼女たち」の数は、1万1,182人、前年の4,417人に比べて実に2.7倍にも増加している。
昭和8~9年で秋田県だけで約1万5千人の娘が「悲しい犠牲」になったという。
これは昭和恐慌(農業恐慌)のときの写真
「娘を売るときは相談を」と役場が村民に呼びかけている。
こういう飢餓地獄から日本人を救ったのが「農林1号」で、これがアメリカ人の唱える説につながる。
ウィキペディアに項目はないけど、並河成資(なみかわ しげすけ)の名前と功績はぜひ覚えてください。
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旅㉖日本人として、アメリカ人に「米とおにぎり」について話す。
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