さて今回は、かつてアメリカ・カナダの先住民がしていた(いまもあるかも)、おもてなしの文化を紹介させてもらおう。
北米先住民には、金持ちや部族のリーダーが客を家に招待して、豪華なごちそうをふるまって歌や踊りを見せたり、「持ち切れるか?」というぐらいのプレゼントを持ち帰らせる「ポトラッチ」という儀式があった。
ポトラッチは人生の記念日、例えば子供が生まれたときや成人したとき、結婚式や葬式などの特別な機会に開かれていて、これは富を再分配するのが目的だったとされる。
太平洋岸北西部先住民族の社会では、一族の地位は所有する財産の規模ではなく、ポトラッチで贈与される財産の規模によって高まった。
アメリカ・ワシントン州でカラム族の首長チェツェモカが開いたたポトラッチ
クヮクヮカワク族によるポトラッチ
むかし滋賀で見たハワイアンショーがまさにこんな感じ。
クヮクヮカワク族の酋長が1953年に建てたポトラッチを行うための建物
(カナダ・ブリティッシュコロンビア州ヴィクトリア)
さて上2つの写真を見て、「あれ?あの柱ってトーテムポールじゃね?」と思った人は大正解。
正解を祝ってポトラッチをしたいから、あした土曜日にわたしの家に来てほしい。
なぜか近所の小学校の校庭にもあったこのトーテムポールは北米先住民の文化で、この大きな木の柱は家の中や前などに建てられる。
この柱は家族の出自などいろいろな物語が刻まれる「飾り」で、何かを崇拝するためといった宗教的な意味はない。
トーテムポールを建てるときは、ポトラッチをおこなうのが先住民の約束だ。
ポトラッチなしにトーテムポールを建立することは北西沿岸インディアンの間においては伝統的なルールに対する違反行為であり
ポトラッチをしないでトーテムポールを建てるのは、恥ずべき行為と考えられていたという。
あるポトラッチではこんな歌が披露された。
「わしは人びとに恥をかかせる偉大な首長だ
われらが首長は人びとの顔に恥をもたらす
われらが首長は人びとの顔に嫉妬(しっと)をもたらす
くりかえし油の祝宴を行うことによって」
「贈り物」という言葉に由来するこのポトラッチには、開催した部族リーダーの偉大さを知らしめる目的があったから、客には貴重な金属製品に毛皮や毛布、さらには現金などが惜しげもなく贈られた。
毎日新聞のコラム「余禄」(2020年7月2日)
気前のよさで客を圧倒するのが宴の目的だった▲「人びとに恥をかかせる」とは、客が返礼できないのを恥じるほど気前がいいという意味である(ベネディクト著「文化の型」)。
ある祝宴で歌われた言葉だ…
気前のよさで圧倒するのが目的だったというのは、日本人的な発想ではないと思う。
なんか豊臣秀吉が好きそう。
でもヨーロッパからやって来た白人らはこれを「非生産的で非文明的な悪習」と見て、「文明化」やキリスト教布教の邪魔でもあったから、アメリカ・カナダ両政府は19~20世紀にポトラッチの開催を法的に禁止した。
当時の白人キリスト教徒らしい独善的で一方的な見方だけど、これはそれだけでもない。
ポトラッチでは招かれた客が高価な贈り物をもらうと、自分がホストになったときはそれを上回る贈り物をしなければならない。
こうなるとメンツの張り合いで、プレゼント合戦に発展してしまうのはもはや必然。
もしお返しが十分にできなかった場合は相手の奴隷になることもあったから、政府が法律で禁止することにも説得力がある。
「我らの大事な伝統であるポトラッチを禁止するなんて、絶対に許せない!」と周囲には怒りつつ、「それな!」と内心よろこんだ先住民もたぶんいた。
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