理不尽なことをされて、「やられたらやり返す、倍返しだ!」と思って実際にそうしてもいい。が、超えてはいけない一線がある。
海外に行ったら、タクシードライバーにぼったくられたという話はよく聞く。
イスラエルを旅行中に出会った日本人旅行者は、パレスチナ人が運転するタクシーを利用して運賃をぼったくられたと怒っていた。
そのタクシーにはメーターが無かったから、乗る前に交渉して値段を決めて、目的地に着くとドライバーはその3倍近い料金を請求しやがった。その日本人は「話が違う!」と抗議したが、「渋滞で時間がかかった」「お前たちの荷物は大きくて重い」とテキトーな言い訳をして、自分の非を認めない。彼がブチギレるとドライバーはそれ以上に怒り、こんなことばを発した。
「なんで俺の言うことが分からない。おまえたちは動物だな」
この一言で彼の堪忍袋の緒が切れ、「ふざけんな」という感覚でこうつぶやいた。
「ファッキン・アラー」

イスラーム教でクルアーン(コーラン)は神聖視されていて、気軽に触ることができない。基本的にはイスラーム教で認められた正装をして、手を洗う必要がある。
「めちゃくちゃ良い!」や「最高!」という意味で、英語で「fuckin good!」と言うことがある。でも、こういうポジティブな意味で「ファッキン」を使うことは少なく、一般的には、「クソッタレ」というかなり下品な悪口になり、相手を一瞬で激怒させることもある。
「アッラー」とはイスラーム教の神のことで、高校世界史ではこう教わる。
アッラー
イスラーム教における唯一絶対神。
「コーラン(クルアーン)」においてアッラーは、絶対的・超越的な存在、世界創造神、事物と人間の運命の決定神、啓示をとおして信徒を導く人格神などであるとされる。「世界史用語集 山川出版」
イスラーム教徒をあらわすアラアビ語の「ムスリム」には、「神(アッラー)に絶対服従する者」という意味がある。イスラーム教徒にとって神聖な存在であるアッラーを冒とくすることは、これ以上ないほどの絶対的なタブー。
感情的になって我を忘れてしまったのだろうけど、パレスチナというイスラーム教徒の「ホーム」で、日本人旅行者は絶対に結びつけてはいけない2つの言葉を1つにした。

イスラエル「嘆きの壁」
イスラーム教徒にこのことばは、正確な例えになるか分からないが、国粋主義者に向かってアッラーと天皇を入れ替えたようなものだろう。
ボクも話を聞いていて血の気が引いたが、彼は目の前にいるということは、その場を逃れることができたということになる。一体どうやって?
彼のことばを聞いて、イスラーム教徒のドライバーは憤怒の表情を浮かべ、運転席から飛び出てきて「外に出ろ!」と怒鳴ってドアを開けたという。何ごとかと思って集まってきた人たちにドライバーが旅行者のことばを伝えると、彼らのあいだで「連携」が生まれ殺気立っていく。
怒鳴り声が聞こえ、「これは本当にヤバい。殺されるかもしれない」と車内でおびえていると、野次馬の中から救世主が現れた。彼に「ドライバーのこう言っているが、それは本当か?」と確認してくれたから、「違います! 日本語で『ふざけんなや』と言ったんです」と言うと、その人が周りの人たちに何やら事情を説明し話をまとめてくれた。
結局、トッサの嘘が通じ、ドライバーにはぼったくり金額をそのまま払い、無事に解放された。彼はそのときのことを振り返り、こんな話をした。
「外国人にこの話をすると、『おまえが生きていることは奇跡だ!』とみんな言います。宗教に無知だったとはいえ、とんでもないことを言ってしまいましたね。」
実際、彼のケースは超絶ラッキーなケースで、イスラーム圏であんなことを言ったら、殴り殺されてもおかしくない。海外旅行では、マナー違反よりも宗教のタブーに触れないように気をつけよう。
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