はじめにクエスチョン。
「環境先進国」と聞いて、頭に思い浮かぶ国はどこっすか?
ネットで検索すると、トップページの一番上にドイツが登場する。
環境先進国の代表、環境にやさしいエコの国といえばやっぱりドイツだね。という「答え」が日本に定着していて、さらにネットを見てみるとこんな文言を発見。
・現在のドイツと日本との明確な違い
・今回はドイツ人の環境意識の高さについてお伝えします。
・日本の環境政策の方向性の誤りを、ドイツの例と比べて
たとえばドイツは日本と違って、ペットボトルではなく瓶の飲み物が主流で、お店に瓶を返せばお金をもらえるシステムが確立しているから「きちんと返す人が大半です」ということらしい。
「ドイツすごい!」からの「それに比べて日本は…」という流れは日本でよくある。
ちょっと古いけど、itmediaのこの記事(2010年03月16日)はその代表格と言えそうだ。
ドイツ人の環境意識が高いのはなぜか。そしてドイツが環境大国として成功している秘密は何か。多くの日本人が抱く素朴な質問かもしれない
日本人と違って、ドイツ人はなぜ環境意識が高いのか
いまの日本で「環境先進国のドイツ」と聞いて、違和感を感じる人はほとんどいなさそう。
ボクも海外の事情には興味を持っていたから、ドイツ人の環境意識の高さっぷりは前々からウワサを聞いていた。
どのぐらいかは分からないけど、日本の先を行っているのは間違いないだろう。
と思っていたから、ドイツ在住の日本人がSNSで、フランクフルト(ソーセージじゃなくて都市)の中心部は割れたグラスだらけで道を歩くのも危ない、といった内容のコメントをしているのを見てビックリ。
「ドイツ全土からショッピングに来た人たちが騒ぎ、路上でたむろしてお酒を飲み、空瓶を投げ捨てるんです。散歩中の犬がケガをすることも多いようで、数週間前からモラルを問うポスターも貼り出されるほど。」
これは新型コロナウイルス対策でロックダウン(都市封鎖)が解除されたあとのことだから、本当につい最近のドイツの姿だ。
店まで持って行って2~30円の小銭をもらうより、瓶を放り投げたりたたき割ったりして「楽しむ」ことを選ぶドイツ人が多いらしい。
10年ぐらい前、日本旅行の経験のあるドイツ人と出会ったとき、彼は日本とドイツの違いで「自動販売機の有無」を挙げた。
「ドイツで自動販売機を設置するなら、ちゃんと場所を選ばないといけない。そこらに置いたら、きっと破壊されるだろうね。お金を盗むためじゃない。ただ壊すのが面白いんだ」
このとき聞いた「just for fun」という言葉が印象的だったから、「今回はドイツ人の環境意識の高さについてお伝えします。」とか言われても素直にうなづけない。
あるドイツ人の夕食
先ほどのドイツ在住日本人の投稿にあった写真を見ると、犬の肉球なんか簡単に突き破りそうな瓶の破片が路上に散乱している。
これが歩きスマホ対策なら効果絶大だ。
投稿者の話では、旧オペラ座広場には数え切れないほどのゴミ箱が設置されていて、「なんでも入れていいよ」と書いてあったとか。
分別以前の問題で、市としてはまずゴミをゴミ箱に入れてほしいようだ。
でも、多くの市民は「mir egal」(私はいいんだよ)と気にしていないらしい。
余談だけど、東京を旅行した知人のドイツ人は「ゴミ箱がなくて困ったよ~」と言っていた。
日本では自分のゴミを持ち帰るのは珍しくない。
そんなことでフランクフルトに住むこの人は、日本とドイツを比較する話を聞くと「ドイツが特別優れているわけではないのになぁ」と違和感を感じてこう書いている。
「環境意識の高いといわれるドイツの実態はこのような状況です。果たして本当に環境意識の高い国なんでしょうか。ゴミの回収率や景観に対する意識も日本のほうがよほど高いように思えます。」
10年前の疑問と真逆で面白い。
「ドイツ人の環境意識が高いのはなぜか。そしてドイツが環境大国として成功している秘密は何か。多くの日本人が抱く素朴な質問かもしれない」
ドイツと日本、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。
とはいえ、これもドイツの一部であって全体じゃない。
この投稿には同じくドイツ在住の日本人が、散歩しながらゴミ拾いをするドイツ人もいると反論(?)していた。
まーそもそも、ゴミが落ちていなければそんな必要もないんだけどね。
ドイツにそこまで要求するのは非現実的か。
それでも環境問題について、ドイツが日本より先進的な部分はあるはず。
日本人には高い学習能力があって、古代は中国、近代では欧米に学んで国を飛躍させてきたから、ドイツに参考になるものがあったら積極的に取り入れたらいい。
でも学びの基本は自分と相手を正確に把握することで、自分に合わないものを吸収したらお腹を壊してしまう。
経験上、正確な情報というのは「日本すげえ!」と「日本ひでえ!」の真ん中へんにある。
でもって、自分が「面白い!」とか「そうなったらいいな」という情報は大体外れる。
>経験上、正確な情報というのは「日本すげえ!」と「日本ひでえ!」の真ん中へんにある。
>でもって、自分が「面白い!」とか「そうなったらいいな」という情報は大体外れる。
それは幼稚な考え方だと思いますね。
「世の中の事実」という情報は、あなたの知的レベルや政治的嗜好や「好み」とは無関係に存在します。
自分がたまたま知った情報の範囲内で「中間的主張」を選ぼうとするのは、いかにも日本人らしい。
「中庸」とかの馬鹿げた教えですか?
>自分がたまたま知った
なせこう言い切れるのですか?
>いかにも日本人らしい。
この根拠は何ですか?
>「中庸」とかの馬鹿げた教えですか?
なぜ中庸は馬鹿げた教えなのですか?
>自分がたまたま知った
なせこう言い入れるのですか?
→ それ以外、どういう経緯がありますか?「必然的に知った」とでも言うのかな?
>いかにも日本人らしい。
この根拠は何ですか?
→ 私がこれまで色々な国の人々とコミュニケーションを取った結果に基づいてです。
「中間の主張を選ぶ」ことにこれほど高い価値を見出す民族は、日本人以外には見当たりませんでした。
>「中庸」とかの馬鹿げた教えですか?
なぜ中庸は馬鹿げた教えなのですか?
→ 中庸が正しい結論であるかどうか、そのことを考えず、ただ「位置」だけで正当性を決定している教えだからです。中庸を正しい選択として決定するには、その尺度となるバックボーンの知識が欠かせないはずだ。
日本人の「中庸」に対する理解は浅いと言わざるを得ません。
わたしの場合は目的を持って調べるなどして知ります。
意図せず偶然知ることもありますがそれは少ない。
なのに「自分がたまたま知った」と限定し断定できる根拠はなんでしょうか。
「いかにも日本人らしい」に客観的な根拠はなかったのですね。
「常識」という言葉は英語のコモンセンスを幕末か明治に訳したものです。
江戸時代ではそれに近い意味で「中庸」が使われていました。
「日本人の「中庸」に対する理解は浅い」ということでしたので、改めてこの言葉の正しい意味を教えてください。
それは「ただ「位置」だけで」というものではないはずです。