「この暑さなら、軽く溶けますね」という酷暑の日、浜松市内を車で走っているとあるお寺の前でこんな看板を発見。
こんな仏教行事は初耳。
人びとに苦しみや不幸をもたらす病魔や邪鬼を、きゅうりに封じ込めることができるらしい。
江戸時代には水戸黄門(徳川光圀)から「毒多くして能無し」とボロクソ言われたきゅうりだけど、やればできる野菜だったのか。
これは「きゅうり加持」「きゅうり加持祈祷会」「きゅうり封じ」などと呼ばれる厄除けの仏教行事。
むかしは夏の暑さが本格的になると体調を崩す人が多かったから、土用の丑の日のころになると、きゅうりに病魔を封じこめて夏を無病息災で過ごすことを願ったのだ。
日本の全国各地で行われているけど京都の伝統行事になっているから、くわしいことはそこをクリックされたし。
ネットを見ると「きゅうり封じ」のやり方は寺によって違いがあるから、以下はひとつの例として読んでほしい。
まず自分の体で、痛みや違和感を感じるところにきゅうりを当てて病魔を移す。
そして病魔が乗り移ったきゅうりに、お坊さんがお経を唱えることで魔を滅する。(成仏させる?)
最後はそのきゅうりを食べたり、土に埋めたり川に流したりする。
中には「きゅうり封じ」と言いつつウナギを食べたり、願い事を書いた紙をきゅうりに挟むというパターンもあるから本当にいろんなやり方がある。
この由来としては、空海がきゅうりに病魔を封じ込めて人びとの苦しみを取り除いたといった説があるけど、ハッキリしたことはよく分からないのが現状。
英語では「Cucumber blessing」というきゅうり封じ。
外国人が見たら、なかなかシュールな光景だと思う。
さて、なんでそんな大役を「毒多くして能無し」と呼ばれたきゅうりに任せたのか?
現実的な理由としては、きゅうりは夏野菜でこの時期にたくさんとれて、形や大きさが儀式を行うのにちょうどよかったから、ということがあるだろう。
ネットで調べてみるとそのほかにも、きゅうりに含まれている水分に病魔や邪鬼をしみ込ませて封じるとか、きゅうりを人体に見立てたとか、むかし日本人は夏にきゅうりで水分補給をしていたからその名残だといった説がある。
それと輪切りにすると仏が教えを説くことを示す「転法輪」に似ているから、きゅうりが使われたという話もある。
兵庫県の西林寺にある法輪
知人のアメリカ人にこの話をしたら、「それはカトリックのエクソシズムみたいだな」なんてことをのたまう。
エクソシズムとは悪魔祓いのことで、これをおこなう人をエクソシストと言う。
このタイトルのホラー映画を見て、震え上がった人も多いはず。
でもこれはきゅうり封じのような、どこかほのぼのした行事ではなくてかなり恐ろしいもの。
儀式は聖水の散布によってはじまり、悪魔に憑かれた者は苦しみだす。エクソシストは、その者に十字架を掲げる。悪魔の排除が1度で達成されない場合、必要であるならば儀式を何度か繰り返し行なわなければならない。
このクラスの「魔」になると、きゅうりに封じるのは無理。
エクソシズム
また別のアメリカ人は、
「If it doesn’t work, does that put you in a pickle?」
(もしそれがうまくいかなかったら、自分がきゅうりに封じ込められるのか?)
なんて言うし、カナダ人は、
「I would gather that the cucumbers are tossed into specific rivers for the kappas.」
(カッパのいる川にそのきゅうりを放り投げると思う)
とテキトーなことを言う。
きゅうり封じはそんな冗談が言えるような、日本らしい庶民的な伝統行事だ。
いやはや、「キュウリ封じ」をエクソシストに例えるとは・・・。
リンダ・ブレア(エクソシスト、1973年)やキアヌ・リーブス(コンスタンティン、2005年)にしてみれば、映画といえども命がけ(?)で演技していることでしょうに。それは彼らに失礼だなぁ、怒られますよ。
米国人の「失敗したら代わりに自分がキュウリに封じ込められる」という発想は、ドラゴンボール(魔封波)の影響かな?