日本の夏といえば海水浴に祭りに風鈴に、それと幽霊がある。
背筋が凍るホラーを見て、厳しい暑さをやわらげるのは昔からの日本人の知恵。かどうかは知らんけど、怪談は日本の夏の風物詩で、「幽霊」が俳句で夏の季語になっているのはマジ。
まえにオーストラリア人女性に、「日本では夏になると肝試しをよくする。自分も子どものころ、近所の大人に夜のお墓に連れて行かれて泣きそうになった」と話したら、「ヒドイ!それじゃ児童虐待だ」とドン引きされた。
日本の子どもにとってあれは夏のお楽しみで、一緒に行く人によってはむしろご褒美なんだけど、そのへんのニュアンスがこのオーストラリア人にはどうも伝わらない。
でも、タイ人・インド人・アメリカ人・トルコ人・ドイツ人など世界中の外国人に聞いても、幽霊やホラーものに季節は関係ないと言うから、夏の納涼として幽霊話を楽しむのは日本だけの文化かも。
ただアメリカではハロウィンのときに死者が戻ってくるから、この時期には幽霊の話も多くなるとは聞いた。
ちなみにインドにも幽霊に興味のある人はたくさんいて、検索すればすぐに恐怖動画がでてくると聞いたから、いま探してみたら「カメラがとらえたリアルゴースト」というのを発見。
白い服を着た髪の長い女性というスタイルは日本の幽霊と同じだけど、インドの幽霊は肉付きが良くて健康そう。どちらかというとリアルゴールドか。
最近は少なくなったけど、30年ぐらい前は「あなたの知らない世界」とかの心霊番組が夏休みの定番になっていて、ボクもあのせいで1人で2階へ上がることが不可能になったことがある。
日本で夏が幽霊話のベストシーズンになったルーツは、民俗学者の折口信夫によると、江戸時代に歌舞伎が「東海道四谷怪談」などの幽霊ものを夏の「涼み芝居」として上演していたからだ。
それが庶民のあいだに定着して、日本の夏の風物詩になったという。
NHKの『チコちゃんに叱られる!!』(2020年8月21日放送)でそのことについてさらに詳しく説明していたから、その内容を中心に日本で夏に怪談ものが定着した背景を紹介しよう。
死者がこの世界にやってくるハロウィンは日本でいえば8月のお盆に相当し、この期間は先祖の霊を供養したり、一緒に過ごすことになっている。
死者の霊が戻ってくるお盆には、無縁仏や怨霊なども生者の世界にくると考えられていたから、夏が幽霊のシーズンになる素地はもうできていたのだ。
誰にも祀られることのない可哀そうな無縁仏や怨霊を供養するために盆狂言が作られて、役者が幽霊の苦しみを演じ表現することで、霊の恨みや怒りが鎮めようとした。
この盆狂言を歌舞伎に取り入れて作られた恐ろしい演目が、「夏は幽霊もの」という現代の日本文化のルーツになったという。
狂言は能と同じく猿楽から発展した伝統芸能で、歌舞伎とはまったくの別もの。
江戸時代の庶民は歌舞伎が大好きでほぼ1年中、歌舞伎小屋に足を運んでいたけど、暑い夏だけは客入りが悪かった。
ただでさえ暑いのに観客も少ないということで、ベテランの人気役者は夏になると休みを取るようになる。
それで夏は経験の浅い歌舞伎役者が演じることとなったけど、芝居が下手くそだったから人も金もろくに入ってこない。
一体どうやったら、夏に観客を呼べるのか?
歌舞伎役者や関係者が話し合った結果、客に背筋が凍るような冷気を感じてもらうため、昔からあった盆狂言を取り入れた歌舞伎の演目を演じることにした。
若手役者の実力不足をカバーするため、「ひゅう~ドロドロ~」という音とともに幽霊が出てくるといった大がかりな演出を加えた「涼み芝居」はこうして出来上がった。
視覚的・聴覚的な刺激を加えて、見ている人を飽きさせないという手法はいまでも劇やアニメでよくある。
歌舞伎の涼み芝居は役者の力不足を過剰な演出に頼ったわけだけど、これに江戸時代の庶民は熱狂した。
アエラの記事(2016.8.17)
ひと味違う大仕掛けの舞台はウケて、怪談狂言は人気演目になっていきました。
「牡丹燈籠」「四谷怪談」「番長皿屋敷」などおなじみの江戸の三大怪談も大流行。
葛飾北斎も怪談を「浮世絵」として描くなど、一大怪談ブームも起こっていったのです。夏と言えば怪談。人はなぜ、暑い夏に怖い話を聞きたくなるのか
このとき日本は「鎖国」をしていたから、怪談狂言の成立に外国文化の影響はない。これは日本独自のもの。
この江戸時代の「一大怪談ブーム」が日本社会に定着して、いまでは夏の風物詩となったのだ。
おわかりいただけただろうか。
ちなみに、足のない日本の幽霊のスタイルは江戸時代を代表する絵師・円山応挙がはじめたと言われる。
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