前回、韓国旅行で南大門市場に行ったときのことを書いた。
「ひょっとしたら、自分も韓国旅行で南大門に行くかも」
なんて思っている人もいると思う。
今回は、そんな人たちのために南大門について書いていく。
南大門観光が、もっとおもしろいものになればいいなあ、と願いつつ。
南大門がつくられたのは、1398年。
当時の韓国は朝鮮王朝の時代。
朝鮮でもっとも重要な都市は、都だったで漢陽(今のソウル)という都市。
その漢陽を守るために、周囲をグルリと城壁で囲んださい、この門がもっとも南にあったということで「南大門」となった。
朝鮮の首都、漢陽(ハニャン、現在のソウル)を取り囲む城郭の正門としての役割を果たしていました。城郭には8つの大小門が作られていましたが、そのうち最も南側にあったため南大門(ナンデムン)とも呼ばれています。
でも、正式な名称は「崇礼門(スンネムン)」で、韓国人の友人はこっちの言い方を使っていた。
日本では、その1年前の1397年に、足利義満が京都に金閣寺を建てている。
南大門と金閣寺は、ほぼ同じ時代の建物だ。
ついでに。
でも、もっと重要な年は1392年で、この年に朝鮮(李氏朝鮮)が成立している。「いざ、国をつくろう」で覚えておこう。
日本でもこれと同じ1392年に、足利義満が南北朝を一つにした。
1333年の鎌倉幕府が滅亡。その後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立。
尊氏は京都に光明天皇を擁立し(北朝)、後醍醐天皇は奈良の吉野にいた(南朝)。
これが一つになったのが1392年。
日本と韓国で新しい時代が始まることになったことになる。
今の南大門には、城壁がない。
南大門だけが「ぽつ~ん」とたっている。
焼失前の崇礼門(南大門)
南大門がこのような姿になったのには、じつは日本が関係している。
というか、日本が南大門をこのような姿にした。
大正天皇が皇太子(嘉仁親王:よしひとしんのう)だったころ、ソウルに入城するために、南大門の左右にあった城壁を取り払っている。
大韓帝国時代の1907年、日本の皇太子嘉仁親王の行啓を機とする街路整備のため両側に続いていた城壁が撤去され、門だけが道路に孤立する形で残された。
(ウィキペディア)
1904年の姿(ウィキペディア)
そういうわけで、今の南大門のまわりには何も遮蔽物(しゃへいぶつ)がない。
車がそのまわりをグルグルと走る、ロータリーになっている。
この様子がとても「韓国らしい」ということで、日本のテレビで韓国のニュースを伝えるときによく背景として使われている。
そんなニュース映像を見た人も多いと思う。
でも、韓国人が想像する「外国人が『韓国』と聞いて思い浮かべるもの」は南大門ではないらしい。
南山(ナムサン)タワー、補身湯(ポシンタン、犬肉スープ)、名品ショッピング、垢すり…。
外国人が「韓国」という言葉から連想するものである。
ボクが直接知っているのは、この中で南山タワーだけ。
南大門も、この中に入っていいと思うけれど。
まあ、この中央日報の記事は2001年のものだから、今なら違うかもね。
ポシンタンの店なんて、今はだいぶ少なくなったから。
ちなみに、南山タワーがあるあたりには、昔、日本人が建てた神社(朝鮮神社・朝鮮神宮)があった。
今でもその痕跡を少し見ることができるという。
かつて日本支配の象徴であった朝鮮神社の跡地に、伊藤博文を暗殺した安重根の記念館を建てた。
これは偶然ではないだろう。
この安重根という人ほど、日本と韓国で評価がわかれる人もいないだろう。
テロリストか?英雄か?
日韓の価値観と考え方の違いのシンボルのような人。
日本での安重根の評価とは。英雄orテロリスト?義士or犯罪者?
ちなみに、1945年にこの神社が廃止されたときは、まだ韓国はできていなかった。
韓国ができたのは1948年だから。
とすると、1948年まで韓国を統治していたのは誰かなあ?
話がまたそれてしまうけど、1907年(明治40年)に嘉仁親王(大正天皇)がソウルを訪れたということは、画期的なことだった。
日本の歴史上、皇太子が初めて外国に行ったのはこのときだから。
このときの大韓帝国は、被保護国とはいえまだ併合前の「外国」であったため、史上初めての皇太子の外遊ということになった。
(ウィキペディア)
大正天皇が「嘉仁親王は李垠をたいそう気に入り、その後朝鮮語を学び始めた」ということを、意外に思った人も多いのではないかと思う。
朝鮮語を学んだ天皇は、大正天皇だけじゃないか?
李垠(イ ウン)は、韓国の皇太子。
でも日本ではその妻だった「李方子(イバンジャ)」という日本人の方が有名だろう。
晩年は韓国で夫と社団法人慈行会を設立して、障害者のための福祉事業をしていた人。
それともう一つ。
そもそも天皇や皇太子は遠出というものをほとんどしなかった。
日本の歴代の天皇のなかで、初めて太平洋と富士山をご覧になったのは明治天皇。
そして、大正天皇(皇太子時代)になって、初めて外国に行かれることになった。
天皇や皇太子が皇居から離れて、どんどん遠くに行くことができるようになった。
こういうことからも、日本が近代化していったことが分かる。
1907年(明治40年)、訪韓時の皇太子・嘉仁親王一行。
前列右より 韓国皇太子・英親王(李垠)、皇太子・嘉仁親王、韓国皇帝・純宗、
有栖川宮威仁親王、後列最左は伊藤博文
(ウィキペディアから)
次回に書くけど、この南大門は2008年に放火によって焼失してしまった。
そしてその復元工事は、2013年に完成する。
このとき韓国は、焼失する前の南大門に少し変化を加えた。
そのときにはなかった城壁を付け加えたのだ。
今回の復元工事で東に53m、西に16mの城郭が一部再現されました。
なんで、南大門の城壁を新しくつくったのか?
調べたけど見つからなかったから、この理由を想像で書く。
これには、「日本に破壊される前の南大門の姿を取り戻す」という意図が込められていたのではないかと思う。
日本に城壁を壊されたことは、韓国人としては良く思っていないはず。
だから、それを意識してのことじゃないかな?
そう思っているんだけどね。
朝鮮神社があったところに、安重根の記念館を建てたことと通じるものがあるんじゃないかな?
考えすぎかもしれないけど。
次回、この南大門が焼失してしまったことについて書きます。
南大門に描かれている龍。
韓国の龍はとっても派手。
清水寺の龍。
日本はお寺も龍も色使いは地味。
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