はじめの一言
「日本の民衆ほど善良な人が他に見出し難いことは否定できないのではなかろうか(パーマー)」
「逝きし日の面影 平凡社」
今回の内容
・日本の歴史で明治天皇が初めてしたこと
・昭和天皇のご巡幸
・日本の歴史で明治天皇が初めてしたこと
前回、明治天皇のお人柄や考え方を紹介してきた。
これらの形成に大きな影響を与えたのが、日本各地に行ってご自身の目で日本や日本人をご覧になったことだろう。
これは天皇としては、日本の歴史上初めてのことになる。
そもそも、明治天皇から前の天皇は、京都の御所から出ることはあまりなかったようだ。
明治天皇の父親の孝明天皇は、日本を全然知らなかったと言ってもいいし、興味もありませんでした。自分の意志で御所の外に出たのは、賀茂社や石清水八幡宮などへの攘夷祈願の行幸ぐらいです。
(明治天皇を語る ドナルド・キーン)
ちなみに、「行幸(ぎょうこう)」とは、天皇が御所の外へ出ることをさした。
明治天皇はこうした今までの天皇とはちがって、北海道、四国、九州など日本のいろいろところに行かれている。
その始めは、1868年(明治元年)の「東京行幸(とうきょうぎょうこう)」だ。
簡単にいったら、京都から東京まで移動したということ。
この東京行幸で、明治天皇は「生まれて初めて」という体験をいくつもされている。
まずは、太平洋をご覧になられた。
現在の湖西市白須賀にある汐見坂から、明治天皇は初めて太平洋を見ました。天皇が太平洋を見たのはおそらく日本史上はじめてのことでしょう(同書)
「生まれて初めて」どころではなくて、日本の歴史で初めてのことらしい。
湖西市は現在の静岡県にある。
静岡県民として誇らしい。
また、富士山をご覧になった天皇も明治天皇が初となられるらしい。
*記事を書いたあと、「はままつ百話」(静岡新聞社)という本でこのときの記述を見つけた。
このとき同行していた木戸孝允が、「天皇は十七歳のこのお年まで太平洋をご覧になられたことがなかったため非常な興味を覚えられた」と記録している。
修学院離宮の庭には、三角形の石がある。
ガイドの説明によると、江戸時代の天皇は実際の富士山を見に行くことはできなかったから、富士山の形をした石を見て富士山を想像していたという。
これがその富士山の形の石
本物の富士山のすがたを見て、明治天皇はとてもよろこばれたらしい。
また、日本の地方に行幸されたときは、庶民の姿もご覧になっている。
農家の人が田植えをしている様子をご覧になったり、工場や小学校にも見学に行かれたりもしている。
彼は先々の名物を観察し、農民たちの歌を聞き、由緒ある品々をながめ、近代的な工場を訪れた。小学校を訪問しては、子供らの暗唱を聞き、成績優秀な生徒には辞書や地図を贈りました。
(同書)
天皇は、特に農家の人たちが歌を唄いながら田植えをしている様子がお好きだったらしく、長いあいだその様子をご覧になっていたらしい。
前回、明治天皇の克己心について書いた。
「自分は楽しむために生まれてきた人間ではない」
「好きだから、それはしない」
こうした自制心や天皇としての義務感は、日本をまわって直接ご覧になった日本や日本人の姿がその根本にあるのではないかと思う。
こう想像するだけで、おそれおおいことだけど。
明治天皇がお亡くなりになったあと、世界の多くの国の新聞が天皇のことを書いていた。それらを読んだドナルド・キーン氏はこう書いている。
世界で最も偉い君主だった。私が読んだ限り、あらゆる国が天皇を一様にそう賞賛しています。
(明治天皇を語るドナルド・キーン)
・昭和天皇のご巡幸
今回、明治天皇の行幸について書いたので、昭和天皇の巡幸(じゅんこう)についても簡単に書きたい。
昭和天皇は太平洋戦争の敗戦について「道義的な責任」を感じ、とても悩んでいたという。
それが日本各地に足を運んだ理由になっている。
昭和天皇の元侍従次長だった人がこう話す。
国民に対してどうするか、それがご巡幸なんです。
陛下の道義的責任で北海道から鹿児島まで、あるいは沖縄までおいでになりたい、ですから全国をおまわりになった。
それは何か、国民一人一人に手を取って「戦争で苦しかっただろう。よくやってくれた。今後もしっかりやってくれ」ということをおっしゃる。
だけど本当の気持ちは国民に対して「本当にすまなかったね」ということをおっしゃりたいと思うのです。「生テレビ・熱論 天皇 (テレビ朝日出版部)」
各地の日本人は涙を流してお迎えしていた。
これが外国人を驚かせる。
戦争に負けた王や皇帝が、その国民から歓迎されることは想像できなかったらしい。
実際、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は、第一次世界大戦で負けたあと皇帝を退位してオランダに亡命している。
イタリアでは第二次世界大戦の敗戦のあと、国民投票をして王政を廃止している。これによって、イタリア王国はなくなった。
むしろ、これがあたり前のことだろう。
昭和天皇が大阪に行かれたときは、集まった群衆に取り囲まれてめちゃくちゃになって、お付きの人とも離れ離れになってしまった。
あとでうかがってみたら、陛下のチョッキのボタンが取れたり、靴が泥んこになって踏まれて本当にもみくちゃですね。
(同書)
天皇陛下の靴を踏むというのは、今では想像もできない。
でも、昭和天皇は怒ることはなかった。
だけど、陛下はそれを一番お喜びになったのではないかと思います。(同書)
おまけ
修学院離宮
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