世界1200の都市を訪れ、1万冊以上を読破して“現代の知の巨人”と呼ばれる立命館アジア太平洋大学の学長・出口治明氏。
その出口氏が講演のあとにおこなった質疑応答で、外国人との共生についてこう答えた。
ダイヤモンドオンラインの記事(2020/10/18)
移民という言葉が嫌いであっても、実体的には研修生は移民そのものなので、移民という言葉に正面から向き合い、外国人と共生していくという道を選ぶべきです。
なぜかといえば、これはヨーロッパで豊富な体験があるのですが、人間の歴史を見てみれば、移民が社会に定着するとき、一番抵抗があるのは「文化」です。
人口減少対策に「移民」は機能するか?
価値観や考え方の違う人たちと一緒に生活する多文化共生社会で、めちゃくちゃ大きな壁となるのが文化の違いだ。
これが原因となってフランスで起きた最悪の悲劇から、いまの日本人が学べることはあると思う。
中学校のある歴史の先生が授業でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を生徒に見せたあと、パリ郊外で首が切断された状態で発見された。
刃物を持った男を見つけた警察は身柄を拘束しようとしたものの、男が威嚇してきたため射殺する。
AFPの記事(2020年10月17日)
容疑者の男は警察と対峙(たいじ)した際、イスラム過激派が襲撃事件を起こす際によく口にする「アラーアクバル(アラビア語で神は偉大なりの意)」との言葉を叫んだという。
仏で男が教師の首切断 授業でムハンマド風刺画見せる
「本当に恐ろしいことが起きた」と事件を報じる海外メディア
これをイスラム過激派のテロ攻撃とみたマクロン仏大統領は、「国全体」を挙げて教師を守ると決意を表明する。
この事件の背景にあるものが2015年のシャルリー・エブド襲撃事件だ。
シャルリー・エブドは政治や社会の風刺を掲載する新聞で、イスラーム教の予言者ムハンマドを“小ばか”にするような風刺画(ターバンが爆弾に模された風刺画など)を載せたことで世界中のイスラーム教徒を激怒させた。
てもシャルリー・エブドは、これもフランスが大事する「表現の自由」であると相手にしない。
そして2015年1月、パリにあるシャルリー・エブドの本社を複数の武装テロリストが襲撃して、編集長や風刺漫画家、警察官など12人を殺害する事件が発生。
「ムハンマドを侮辱したことへの復讐だ」とイスラーム過激派が犯行声明を出す一方、フランスの自由を守るために国民が立ち上がり、シャルリー・エブドの定期購読者は事件前月の1万人から22万人に急増した。
こうなるともう異なる価値観の「全面対決」だ。
人を殺害するテロ行為は最低最悪で、犯人が責任を負わないといけない。というのは当たり前としても、以前から過激な風刺画でいろんな人を刺激し、フランス政府から自粛を要請されていたにもかかわらず、ムハンマドを風刺する画を掲載したシャルリー・エブドの自由すぎる表現も議論をよんだ。
でもこの風刺画掲載は、フンラス人が大事にする価値観に合っていたから、シャルリー・エブドはパリ市からは名誉市民の称号が贈られた。さらに国際ペンクラブが「勇気と表現の自由」を授与したが、この時は英米の作家が抗議の意味で授賞式をボイコットする。
ここでも価値観と価値観の正面衝突だ。
風刺画が掲載されたあと、シャルリー・エブド社前には憲兵隊の警備車両が配置された。
先月9月2日に、5年前の「シャルリー・エブド襲撃事件」の裁判が始まった。
その1日前、シャルリー・エブドは事件のきっかけとなったムハンマドの風刺画を再び掲載し、これからも風刺画を描き続けるという“不屈の決意”を示す。
朝日新聞の記事(2020年9月2日)
同紙は記事の中で、事件で同紙に向けられた憎悪に対し「我々は屈することはないし、あきらめることはない」と掲載理由を説明した。
シャルリー・エブド、ムハンマド風刺画再掲 不屈へ決意
するとこのあとシャルリー・エブドの元本社前で、風刺画掲載に対する報復としてイスラーム教徒の男が包丁で2人を刺す事件が発生。
そして今回、「斬首」された中学校教師が授業で使ったのは、シャルリー・エブドが掲載したムハンマドの風刺画だった。
これらの点は線でつながる。
表現の自由を重視するというフランスの価値観とイスラーム教の価値観が最悪の形でぶつかって、こんな悲劇が起きてしまった。
多くの外国人が住むようになったとはいえ、いまの日本にこんな事件が発生する気配はないけど、起きてからでは遅い。
*そういえば2001年に富山県で「コーラン破り捨て事件」が起きて、イスラーム教徒を激怒させる出来事はあった。
でもこれは価値観や文化の違いというより、聖書をはさみで切り裂いてバラまくとどうなるか想像できなかった日本人の無知に大きな原因がある。
くわしいことはこの記事を。
タブー①無宗教の日本人は要注意。コーランを破り捨て、国際問題に。
個人的には、今回の一連の事件のきっかけとなったフランスの自由は行き過ぎていて、もはや野放し同然と思う。
「我々は屈することはないし、あきらめることはない」というのは分かるけど、あえて挑発しなくてもいいのでは?
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> 今回の一連の事件のきっかけとなったフランスの自由は行き過ぎていて、もはや野放し同然と思う。
> 「我々は屈することはないし、あきらめることはない」というのは分かるけど、あえて挑発しなくてもいいのでは?
もちろん、あえて挑発する必要はありませんよ。ただし、移民が移民してくる権利があり、移民を受け入れる側に受け入れる権利があるのと同様に、「受け入れたくない」と声を上げる自由もある。
移民が、国力を増す要因となることは本当なのかもしれません。ですが、移民による国力増強を拒否して、滅びへの道を選ぶこともまた、その国民の自由でしょう。フランス人が野放しを選ぶこともまた、フランス人の自由に基づく選択なのです。