【理想の政治家】北条泰時が日本人に愛されまくった理由

 

日本とタイの共通点は天皇と国王という“君主”がいること。

タイ国民は国王や王室に深い敬意をもっているものの、残念なことに、いまの国王ラーマ10世(ワチラロンコン)の豪華すぎる生活に国民の不満が高まっている。

約4.6兆円といわれる国王の資産はエリザベス女王の80倍でまさにけた違いだ。
振る舞いも自由奔放で、週刊文春(2020年9月17日号)の記事で現地ジャーナリストがこう嘆く。

刺青が丸見えのタンクトップ姿で30歳年下の愛人といるところを撮られたりしたことも。1年の大半を海外で過ごすなど放蕩三昧でした

愛人20人、側近数百人と高級ホテル貸し切り…タイ国王の“派手すぎる生活”に批判噴出

 

このほか見出しにあるように国王はドイツの高級ホテルのフロアすべてを貸し切って、20名の女性を含む側近数百人と生活していたという。

こんな情報がSNSで拡散すると、王室を批判すると不敬罪で捕まるタイで、不敬罪の撤廃や王室改革を求める異例の動きが公然とでてきた。
これに対し国王は「いまタイには王を愛する国民、王室を愛する国民が必要だ」と訴えかけたものの、なんせタイミングが悪かった。
新型コロナ対策で観光立国のタイが外国人旅行者をシャットアウトした影響もあり、いまの経済不況はかなり深刻で閉店や失業、さらには自殺する人までいるという。
平時ならまだしも、国民が生活苦にあるときに海外での豪遊は心象が悪すぎた。

ところでもし王を愛する国民が必要なら、日本の歴史でぜひ参考にしてほしい人物がいるのだが。

 

王の写真に祈りを捧げるタイ国民

 

王への求心力や敬意を回復するにはいまの逆をすればいい。
日々の生活に苦しむ民衆に寄り添って、自分のためではなくて民のために資産を投じればいい。
そしてその結果、王が貧しい生活することになって国民がその様子を知れば、きっと王を愛さずにはいられなくなり、後世まで名君として称えられる。

王ではないけど、鎌倉時代に日本の頂点にいた北条泰時がまさにそんな人。

 

北条泰時

 

1230年に寛喜(かんき)の飢饉という大災害が起きて、あしたまで生きられかどうか分からない人々が続出し、鎌倉幕府は対応に追われた。

京都、鎌倉には流民が集中し、市中に餓死者が満ちあふれた。幕府は備蓄米を放出すると共に、鶴岡八幡宮で国土豊年の祈祷を行っている。翌1232年、貞永への改元が行われた。

寛喜の飢饉

 

このとき口に入れられる物がすべてなくなり、妻子や自分を売って飢えをしのぐケースが相次いで起こり、世の中はこれ以上ないほど乱れた。

飢えて死んだり自ら奴隷状態になる民を救うため、泰時は多くの領地で年貢を免除してばく大なお金を貸し与えた。でも、借金を返済できない人も多くいたから、泰時はその負担をすべて背負うことになる。
入るものがなく出て行く一方だから、泰時の生活はみるみる困窮していく。

 

北条泰時はこの時代の日本のスーパーパワーだ。
1221年の承久の乱では鎌倉幕府の総大将として朝廷側とたたかい、これを制圧したのち後鳥羽上皇と順徳上皇を島流しにして、仲恭(ちゅうきょう)天皇を退位させて別の天皇をたてた。
天皇のような宗教的権威はなかったものの、政治的権力では完全に北条泰時のほうが上で天皇家も朝廷も彼の支配下に置かれた。

そんな泰時が私財を民衆に分け与えたあと、どんな生活をしていたかは『明恵上人伝記』に書いてある。

畳を始として一切のかへ物共をも古き物を用ひ、衣裳の類も新しきをば著せず、烏帽子の破れたるをだにもつくろひ続せてぞ著給ひけり。夜は燈なく昼は一食を止めて、酒宴遊覧の儀なくして此の費を補ひ給ひけり。心ある者見聞く類、涙を落さずと云ふ事なし。

「日本人を動かす原理 日本的革命の哲学  (PHP文庫)  山本 七平」

 

畳をはじめとして古くなった物を使いつづけ、帽子が破れてもそのままかぶっていた。
昼は食事の回数を減らして夜は灯りを消して、酒も遊びもやめて国民を支援する費用にまわした。
天皇を退位させ2人の上皇を島流しにして、ある意味、織田信長を超える“暴挙”をおこなった日本の最高実力者がこんな暮らしをしていたから、これを見たり聞いたりした人はみんな涙を流したという。
これは泰時の師匠であった仏教僧・明恵の「欲心を失ひ給はば、天下自ら令せずして治るべし」の教えを忠実に守った結果だ。

これは泰時の人間性を示す一例で、全体像で見ると彼は理想的な政治家でまさに聖人君子。

泰時は人格的にも優れ、武家や公家の双方からの人望が厚かったと肯定的評価をされる傾向にある。同時代では、参議・広橋経光などが古代中国の聖人君子(堯、舜)に例えて賞賛している。

北条泰時

 

とはいえ批判する人もいるから、泰時はパーフェクトでもない。
借金だらけの松代藩の立て直しに、正義を政治の基本とし、質素倹約を第一にして自分が率先してビンボー暮らしをしていた江戸時代の恩田民親(たみちか)も泰時の考え方に近い。
恩田も理想的な政治家とされていて、日本人はこういう人物が昔から大好きだ。

 

一番上に立つ人間が欲を捨てれば、何も命令しなくても国は自然とうまく治まる。
そううまくいくかは分からないけど、「いまタイには王を愛する国民が必要だ」という言葉と一緒にそういう態度を見せれば国民に響くだろう。
もともとタイ国民は王や王室を敬愛しているのだから、国王がぜい沢をやめれば、民衆は王室批判の代わりにまた手を合わせるようになるはず。

 

 

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1 個のコメント

  • 「日本人が好きなのは、偉大な政治家であるが質素倹約を旨とする人である」というのは、確かにその通りだと思います。というか、財力と権力の両方を手にした「圧倒的独裁者」が、日本人はもともと嫌いなんです。
    日本の歴史上、財力も権力も随一の規模で手中にした独裁者と言うと・・・。足利義満くらいじゃないですか?あともしかすると、奈良時代末期の孝謙称徳女帝なんかもその口かもしれない。それと、もうちょっとで織田信長もその域に到達していたかもしれない。
    全員、政変により暗殺、もしくは暗殺されたと強く疑われています。いかにこの種の「独裁者」を日本人が嫌っているか、このことからも分かります。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。