インドネシア人が見た日本人:冷たくて親切・無関心と協調性

 

さいきん福岡県行橋市のとある路上で、道に迷って泣いていた小学生2年生の女の子を見つけた小学5年の男の子が、「どうかしたの」声をかけて近くの警察署へ連れて行った。

「へ~。オチは?」というツッコミは免れない話だけど、署長から感謝状をもらったときに言った男の子のことばが世間の注目を集めた。

朝日新聞の記事(10/20)

「辺りは暗く、付近に保護者らしい人は見当たらなかった。通りかかる大人は何もしなかったので自分が何とかしないといけないと思った。人の役に立つことができてよかった」

泣く7歳、助けない大人 「何とかしないと」小5が保護

 

これにネットの反応は?

・日本人さんさあ、これはなんだい?
どこが礼儀正しくて親切な国なんだい?
・大人がやったら案件になるか、逮捕されるから
・鬼滅の刃みたいやな
・大人が「こんにちは」と言っても不審者情報だから
なにもしないのが一番
・俺らだったら近づいただけで、逮捕される。
・大人がさわると誘拐か猥褻になるからシカトが一番
・お前らの世の中に対する恨みつらみは分かったから成仏してくれ

 

この小学生は「通りかかる大人は何もしなかった」と言うのだけど、きっと何も感じなかったわけではない。
泣いている女の子は気になるけど、下手にかかわると時間を取られたり面倒なことになるし、これだけ人がいたらそのうち誰かが声をかけるんじゃね?といった理由でスルーしたのだろう。

 

 

この出来事で、2018~9年に日本の大学で学んでいたインドネシア人から聞いた話を思い出した。
彼から見ると日本人はすごく極端。
基本やさしくて親切だけどすごく冷たい一面があるし、恐ろしいほど他人には無関心だけど、仲間になると協力的でそのギャップがすごい。

そんなことを言うから、そう思うにいたった日本体験を聞いてみた。

彼が東京へ行って新宿駅とかいうラビリンス(迷宮)に迷い込んだとき、周囲の人に道を聞こうと思ったけどそれができなかった。
みんな無表情に高速で歩いているから、「すいません」と日本語で呼び止めるハードルが彼にはエベレスト級で、かといっていつまでもグズグズしている時間もなく、思い切って声をかけてみると予想を華麗に裏切ってやさしく教えてくれた。
この“成功体験”から、「日本人って見た目ほどこわくも冷たくない」と中身とのギャップに気づいた。
それでその後、何度か道行く日本人に声をかけると、みんな立ち止まって助けてくれたから、この直感は確信になった。

彼の感覚だとこれがインドネシアなら、立ち止まってあたりをキョロキョロ見回す人いたら、きっと誰かが「どうしたの?」とフレンドリーに声をかけてくれる。
でもインドネシア人は面倒くさがりだから“カン”でテキトーに答えてしまうけど、日本人の場合は自分で分からないことはその場でスマホで確認して正確な情報を教えてくれる。
目的地まで付いてきてくれる人もいて、インドネシア人以上に時間や手間をかけて助けてくれるところが日本人のいいところと言う。

 

でも、恐ろしく他人に無関心で冷たいこともある。

あるときバイトを終えた彼が街中の駐輪場に行くと、その前の路上で、3人の男が2人の女の子をナンパしていた。
女の子の言葉と表情から、しきりにカラオケに誘う男たちを嫌がっているのはすぐに分かったけど、通行人はチラリと見るだけで我関せず、民事不介入の態度でスタスタ横を通り過ぎていく。

ここで自分はどうするべきか迷ったけど、「終電がなくなります。困ります」という声が聞こえた彼は心をきめた。
「君子危うきに近寄らず」の日本人と違って、「義を見てせざるは勇無きなり」(正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じ)を優先した彼は、「嫌がってるじゃないですか。ナンパはやめたほうがいいですよ」と言う。
すると「なんだてめぇは?」と囲まれて、言い合っているうちに1人が殴りかかってきた。

注意が外国人に向いているスキに女の子が携帯で警察に連絡すると、それに気づいた男たちはその場を去ってアニメの第一話のような話は終わった。

でも彼にとっては、殴られてメガネが壊れたことよりもショックだったのは、何人もの日本人男性が横を通ったのに誰ひとりとして加勢してくれなかったこと。
通行人は「最初のひとり」になるのに抵抗があるだけだから、自分がその役割を引き受けてナンパ野郎に声をかけたら、他の日本人も加わって女性を無事解放できると思ったのだけど、実際にはみんな冷酷にスルー。
日本人の無関心は想像をはるかに超えていて、もはや理解不能の領域にある。
これがインドネシアだったら、きっとたくさんの人が集まって「悪党」を追い出していたという。

 

首都ジャカルタの鉄道駅
時間になると、イスラーム教徒はこうやってお祈りをはじめる。

 

以下、日本に住んでいた経験から感じた彼の印象。

日本人は他人に冷たくて自分から働きかけることはないけど、声をかけるとかちょっとでも「縁」ができたら親切にしてくれる。
*福岡の女の子も自分から声をかけていたら、違った展開になっていた。

大学の食堂でひとりポツンと食べている学生がいても、日本人の友人は「知らないヤツだからほっときゃいい」と言って声をかけることはない。インドネシアなら一緒に食べてる場面。
でも文化祭では、グループのみんながすごく協力的で、あったかい雰囲気の中でいいものをつくり上げる。
日本人のこの温度差や違和感が、インドネシア人の彼にとってはとても印象的だった。

 

髪を隠すヒジャブをかぶっているのはイスラーム教徒のあかし

 

彼の考えでは、この違いは民族ではなくて宗教や信仰によって生まれる。
人口の約9割がイスラーム教徒のインドネシアでは(イスラーム教徒の人口は世界最大)、豚肉を食べないとか、金曜日にはモスクで礼拝するといった同じルールに従って生活しているから、知らない人でも連携感や親しみがある。
これに対して無宗教の日本人は自分の価値観に基づいて行動するから、外から見ると一体感はなくてみんなバラバラで距離がある。
でも、相手が同じ中学や高校だったと分かると態度が一変する。(静岡では確かにそういう傾向がある)
ただ他人同士でも、一度共通の目的をもつとすごく協力的になって集団としては強い。

こんな彼の見方はほとんど正解だと思う。

 

 

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外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」

タイ 「目次」

インドネシア 「目次」

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ヨーロッパ 目次 ①

ヨーロッパ 目次 ②

 

5 件のコメント

  • 相手が同じ中学や高校だったと分かると態度が一変する。(静岡では確かにそういう傾向がある)
    静岡だけじゃなく、全国的にそうだと思うが。

  • このインドネシア人が他県の日本人から、静岡の人間はその意識が強いと言われたんです。
    日本では一般的にそうだと思いますが、わたしも他県出身の人から同じことを言われたので、静岡は同属意識が特に強いのかと。

  • >日本では一般的にそうだと思いますが、わたしも他県出身の人から同じことを言われたので、静岡は同属意識が特に強いのかと。

    まあ、確かに、東京中心から周辺へ拡大しながら考えると、そのような同郷意識(なぜなら「同属意識」という単語はちょっと違うような気が・・・)が強く現れるのは、富士山と箱根を越えたところにある、静岡県とか山梨県が最初ですよね。東京で「~県人会」という集まりが今でも存在しているのは、主に、西日本の県ではないでしょうか?
    この辺、かつての「江戸幕府中心経済圏」と「上方中心経済圏」との間での感覚の違いが影響しているのかも。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。