明治天皇とヨーロッパ皇帝との違い:自制心・国民に寄り添う心

 

きのう11月3日は、平和と文化を重視した日本国憲法が1946年のこの日に公布されたことを記念して「文化の日」だった。
でもそれは戦後になってから話で、11月3日は明治天皇の誕生日だったから戦前は「明治節」という祝日だったのだ。
ということで今回は明治天皇のお人柄に中心に書いていこう。

 

明治天皇(1852年 – 1912年)
1912年(明治45年)に大正時代がはじまる。

 

明治という元号は中国の古典・易経に出てくる「聖人南面而聴天下、嚮明而治」に由来する。

「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」
(聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる)

こんな意味の言葉を天皇が元号に採用したのだから、「明治」には新しい日本に対する天皇の意思や決意が込められていたはず。
この発想を「天子南面思想」といい、ボクの知る範囲では中国・韓国・日本の王宮はすべて南に向かってつくられている。

ちなみに天皇1人につき元号をひとつ制定するという、現在の「一世一元の制」が始まったのはこのときから。

 

むかしの日本や中国で北極星は不動の星で、それを中心にさまざまな星が周囲を回ると考えられていた。

 

 

明治天皇はそんな北極星のように、じっとどまることを考えていたのだろう。私利・私欲を押し殺す強じんな自制心の持ち主だったことが、日本学者のドナルド・キーン氏の著書からみえてくる。

総司令官である大元帥だったにもかかわらず、一度の戦争の作戦に干渉したことがないのです。ヨーロッパの皇帝などはしょっちゅうやっています。自分たちの好き嫌いで、この人は連隊長にしろといった命令を出していました。

「明治天皇を語る (新潮新書) ドナルド・キーン」

権力を手にするとどうしてもそれを行使したくなるけど、明治天皇は欧州の王や皇帝とはそこが違った。

あるとき明治天皇が憂鬱そうな様子をしているのを見て、側近が気晴らしに、生まれ育った京都へ行くことをすすめると、「朕は京都が好きである。ゆえに京都には参らぬ」と断ったというエピソードがある。

 

文明開化で日本の世の中が西洋崇拝へ傾く中でも、明治天皇は日本の残すべき文化は残し、外国の取り入れるべき文化は取り入れる「和魂洋才」の態度を示す。
上の写真のような洋装をしたり、奈良時代に聖武天皇が肉食禁止の令を出してから、皇室では禁忌とされていた牛肉と牛乳を自ら口にして、新しい日本の生活を国民に知らせた。
その一方で和歌や蹴鞠が好きで、こうした日本の伝統文化を大事にする一面もあった。

また明治天皇は国民や兵たちと苦楽を共にするという強い信念を持っていて、生涯を通じてそれを実行する。

日清戦争で広島大本営に移った際、「暖炉も使わず殺風景な部屋で立って執務を続ける」といった具合であった。こうした態度は、晩年に自身の体調が悪化した後も崩れることがなかった。

明治天皇

ヨーロッパ歴史でこんな皇帝や王は何人いたか。

 

欧米の植民地になることなく、独立を守りつづけた明治時代は天皇の克己心や国民に寄り添う心の上に成り立っていた。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。