日本から?中国から?韓国人もあいまいなソウルの独立門

 

チョン・ヨンウという韓国のお偉いさん(大統領府の元外交安保首席)が先月21日、ソウルで行われた「独立門123周年記念式典」の演説でこう言った。

朝鮮日報の記事(2020/11/24)

「独立門は123年前、日本ではなく中国から独立したことを記念するため、徐載弼(ソ・ジェピル)先生が建てた記念物」だとし「徐載弼先生が、迎恩門と慕華館を取り壊してその跡地に独立門を建てたのは、中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打って近代的な自主独立国家としてよみがえろうという意思を内外に確認させるため」と語った。

「『東方礼儀之国』は称賛ではなく侮辱的表現」

 

まったくそのとおり。
この演説でチョン氏が(やや挑発的に)言うように、「中国の属国として500年過ごした」朝鮮は1897年に大韓帝国に生まれ変わって中国からの独立を果たす。
それを記念するために建てられたのがソウルにある独立門。であるにもかかわらず、これを「日本からの独立を記念する門」とカン違いをしていた韓国人にこれまで何人も会ったことがある。

今回チョン氏がこう言ったということは、いまでもそう誤解している人が多いのだろう。

 

独立門

 

この出来事に決定的な役割を演じのが日本だ。
1895年の日清戦争で中国(清)に勝利した日本は、下関条約で朝鮮が独立することを清に認めさせた。
これを受けて大韓帝国が成立し、「中国に対する事大と屈従の歴史に終止符を打って近代的な自主独立国家としてよみがえろうという意思を内外に確認させるため」、ソ・ジェピル先生が独立門を建てることを決意する。

ただ19世紀末に朝鮮半島を旅行していたイギリス人イザベラ・バードの旅行記によると、当時の朝鮮王朝は中国に対する事大主義を「屈従の歴史」とは見ていなかったようだ。

一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた

「朝鮮紀行 イザベラバード (講談社学術文庫)」

 

「中国から独立すべきだ!」とせまる日本に対して、朝鮮政府は明確な決断を下せないでいた。
それでも独立を宣言して、それを記念する門が建てられたのはさっき書いたとおり。

 

 

朝鮮時代の事大主義を象徴するのがこの「迎恩門」で、中国皇帝の使者がやってくると朝鮮国王は自らここに出向いて使者を歓迎しないといけなかった。

大学教授のチェ・ギホ氏がこう言う。

今日の韓国民のうち、いったい何人が、そこに韓民族にとって、はかりしれない災禍をもたらした象徴である迎恩門が建っていたことを、知っているだろうか。

迎恩門

 

ソウルに独立門があることは、韓国国民ならほとんどの人が知っているだろうけど、迎恩門とセットで正しく時代背景を理解している人は一体どれだけいるのやら。
日本から独立したのではなくて、日本はむしろ渋る韓国に自主独立をうながしたのだ。

 

独立門(右側)と柱だけを残し撤去された迎恩門(1897年)

 

 

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1 個のコメント

  • >ソウルに独立門があることは、韓国国民ならほとんどの人が知っているだろうけど、迎恩門とセットで正しく時代背景を理解している人は一体どれだけいるのやら。
    >日本から独立したのではなくて、日本はむしろ渋る韓国に自主独立をうながしたのだ。

    ああ、でもこれ、多くの韓国人が誤解するのも無理はないです。
    なんてったって、この独立門の周囲にはそのようにわざと誤解させるような記念物とか石碑とか、いっぱい置いてありますからね。しかもそのように誤解されていることを知っていて、それを正そうとする韓国人がほとんどいない。この記事に出ているチョン・ヨンウ元外交安保首席なんか例外です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。