ほんじつ12月29日は「清水トンネル貫通記念日」。
1929(昭和4)年のこの日、群馬と新潟をむすぶ清水トンネルが完成した。
240万人の労働力と7年の月日をかけて作られた清水トンネルは約10km(9700m)と、これは当時の日本では最長。
川端康成の『雪国』の有名なはじまり、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は完成したばかりの清水トンネルといわれている。
清水トンネル
地面を掘って道をつくるトンネルの発想は古代から各地であった。
世界最古の歩行者用トンネルは紀元前2000年ごろ、ユーフラテス川を越えるためにバビロンで造られたものとされる。
ヨーロッパ(古代ローマ・ギリシア)では多くのトンネルが造られた一方、日本では近代に入るまではあまり造られず、日本初のトンネルは1632年に辰巳用水(金沢市)と考えられている。
日本はトンネルを掘るより峠道を整備する方向で発達して、東海道など五街道をはじめ各地で山道(峠道)がつくられた。
用水ではなくて人間の通り道としてのトンネルで有名なものは、何といっても大分県中津市にある「青の洞門」だろう。
いまネットで調べてみたところ、これが日本最古のトンネルのようだ。
ここはもともと断崖絶壁の難所。
転落して命を落とす通行人がいたことを知った仏教僧の禅海(ぜんかい)は、ここに安全な道をつくろうと決意する。
「よし、必ずやるぞ!」と意を決することだけなら誰でもできるし、大前研一氏に言わせると、人生を変えるために最も無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。
ほとんどの人はそれで満足してしまって長つづきしないけど、仏道に生きる禅海はちがう。
藩主から工事の許可をとって周辺の住民や領主の理解を得て資金を集めるなど、理想に向かって現実的・具体的に進んでいった。
いつの時代も夢を実現するには金が必要になる。
でも、最後にモノを言うのはやっぱり熱意。
禅海は石工たちと一緒にノミと槌(つち:ハンマーのこと)だけを使い、30年かけて巨大な岩山を掘り抜いては「青の洞門」をつくったという。
このトンネルの通行料として人からは4文、牛馬には8文とったということで、「青の洞門」は日本最古の有料道路といわれる。
メンテナンスに費用がかかるし、人の善意や努力を「当然」と思わないよう無料にしないで正解だっただろう。
通行人の命を守る一心で岩を掘る禅海(1691年 – 1774年)
菊池寛の『恩讐の彼方に』は禅海の話をモデルにしている。
1763年に開通した「青の洞門」は名所として知られ、歌川広重の『六十余州名所図会』にも描かれている。
とはいえ完成したころは「樋田の刳抜」(ひだのくりぬき)と呼ばれていて、「青の洞門」になったのは幕末から大正時代のころらしい。
この景色を守るために中津市出身の福沢諭吉が土地を買い取った。
これがなかったら、青の洞門はいまごろは消えていたかも。
上が現在の「青の洞門」で、禅海が掘った部分はいまでも見ることができる。
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