前回、安倍首相が「日本人の誇り」と呼んだ杉原千畝(すぎはら ちうね)のことを書いた。
それと、同じく「日本人の誇り」と言ってもいい樋口季一郎(ひぐち きいろう)のことも。
そのことはこの記事をご覧ください。
杉原千畝も樋口季一郎も第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツの迫害から逃れてた数千人のユダヤ人を助けている。
その功績をたたえる意味で、イスラエルには「杉原千畝通り」という道がある。
また、イスラエルの国家建設に貢献をした人を記録するための「ゴールデンブック」には、樋口季一郎の名前が刻まれている。
前回この2人を紹介したということで、書いておきたいことがある。
それはこの”逆”の例。
杉原千畝も樋口季一郎もユダヤ難民の亡命を手助けしたことで、多くのユダヤ人の命を救った。
これとは反対に、ユダヤ難民の受け入れを拒否したことで悲劇的な結果をもたらしたできごともあった。
それは「絶望の航海」と呼ばれている。
これから、ナチスによるユダヤ人迫害に触れながら、その航海について書いていこうと思う。
杉原千畝がユダヤ難民に出していた「命のビザ」
1933年にヒトラーが政権を奪う。
その後、人種差別的な「反ユダヤ政策」にもとづく、ユダヤ人への迫害が本格的におこなわれるようになった。
この内容がひどい。
ユダヤ人排斥
ユダヤ人を二級市民として公民権を奪い、ドイツ人との通婚を禁止した。38年以降、迫害をさらに強化し、アウシュヴィッツなどユダヤ人絶滅を目的とする収容所を設置した
「世界史用語集 (山川出版)」
ナチス=ドイツに「絶滅の対象」とされたヨーロッパ各地のユダヤ人は、見つけしだい強制収容所に送られていた。
ナチス=ドイツによるホロコーストによって、600万人ものユダヤ人が殺されたという。
ホロコースト
600万人が殺されたと言われる、ナチス=ドイツによるユダヤ人虐殺のこと。この用語は「旧約聖書」に由来する。ユダヤ人絶滅を目指し、アウシュビッツなど各地の収容所で計画的に虐殺がおこなわれた
「世界史用語集 (山川出版)」
この「ホロコースト(Holocaust)」という言葉は、ここに書いてあるように旧約聖書の言葉からつくられた造語だ。
たしか「完全に焼き尽くす」という意味の言葉だったと思う。
ホロコーストとは、ある特定の民族の絶滅を目的にした計画的な虐殺で、ただ多くの人を殺害する「虐殺(massacre:マスカー)」とは違う。
では、ナチス=ドイツがユダヤ人絶滅を目指した理由は何か?
ホロコーストの最高責任者の1人である「アイヒマン」はこう言っている。
ユダヤ人は、ドイツ国民の永遠の敵であり、殲滅(せんめつ)し尽くさねばならない。
われわれに手のとどくかぎりのユダヤ人はすべて、現在のこの戦争中に、一人の例外もなしに抹殺されねばならない。
今、われわれが、ユダヤ民族の生物学的基礎を破壊するのに成功しなければ、いつかユダヤ人がわがドイツ国民を抹殺するであろう
「アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)」
ヒトラーもこれと同じ考えを持っていた。
その時代、オランダのアムステルダムに、アンネ(1929年 – 1945年)というユダヤ人の女の子が隠れ住んでいた。
その中学生の少女が日々の生活を日記に書き始める。
それが後に、人類の宝としてユネスコ記録遺産に登録された「アンネの日記」だ。
そこにはこう書いてある。
きょうは、悲しく憂鬱なニュースばかりです。たくさんのユダヤ人のお友達が、いっぺんに十人、十五人と検束されています。
この人たちは、ナチス秘密警察(ゲシュタポ)からこれっぽちの人間らしい扱いも受けず、家畜を運ぶトラックに詰めこまれて、ドレンデにあるオランダ最大のユダヤ人収容所、ウェステルボルグに送られてゆきます「アンネの日記 完全版 (文春文庫)」
イギリスのラジオで、「収容所に送られたユダヤ人は毒ガスで殺されている」と聞いたアンネは「わたしは恐怖に打ちのめされています」と書いている。
このときの生活を「いつも喉もとにナイフをつきつけられて暮らしてきました」と、アンネは記している。
ナチスの支配下にいたすべてのユダヤ人も、これと同じ恐怖を感じていたに違いない。
1944年8月4日の朝、アンネとその家族はゲシュタポ(ナチスの秘密警察)に見つかってしまう。
オランダ人警官たちが続々と隠れ家に入ってきて家宅捜索を開始した。まず隣室のアンネの部屋にいたアンネとマルゴーが拘束され、つづいて4階のリビングルームにいたファン・ペルス夫妻とフリッツ・プフェファーが拘束された
「ウィキペディア」
列車で収容所に運ばれる間中、アンネは外の田園風景をじっと見ていたという。
その後、ベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られたアンネは、そこでチフスによって亡くなった。
15歳のときだった。
それは1945年のことで、アンネの死体は収容所の死体投棄穴に埋められたという。
生前、アンネは日記にこんなことを書いていた。
つまらない人間で一生を終わりはしません。きっと世のなかのため、人類のために働いてみせます
「アンネの日記 完全版 (文春文庫)」
これと同じ時代、ナチスによるユダヤ人迫害がおこなわれていたとき、「絶望の航海」と呼ばれるできごとがあった。
1939年、安全と自由を求めてナチス=ドイツから脱出しようと、900人以上のユダヤ人を乗せた「セントルイス号」という船がドイツ・ハンブルグ港を出た。
彼らはキューバのハバナに上陸する予定だったけれど、突然それができなくなってしまう。
乗客はハバナに到着したものの、受け入れを承諾していたはずのキューバ政権は突然態度を変え上陸を拒否した。次いでアメリカにも拒絶されてしまう。当時のルーズベルト大統領は、セントルイス号がアメリカ領内に入ったらただちに砲撃すると通告した
「憎しみの大地 (落合信彦)」
ユダヤ難民を強引に満州国に入国させた、樋口季一郎のような人物はいなかったらしい。
その後、彼らはこうなった。
船は絶望にうちひしがれた人々を乗せ、世界の港を転々としていく。しかし、行く先々で入国拒否を通告され続ける。やがて、行き場を失ったセントルイス号は、旅立った元のハンブルグ港へと引き返す他はなかった。乗客たちを待っていたのはアウシュヴッツやダハウなどの強制収容所であり、最終的にはガス室だった
(同書)
世界がユダヤ難民にこうした対応をしていた時代に、杉原千畝や樋口季一郎はユダヤ人を助けていた。
安倍首相が「日本人の誇り」と言ったことはもっともだし、イスラエルが今でもこの2人に感謝していることも理解できる。
アウシュヴィッツ強制収容所
連合軍が到着したときの収容所の様子
おびただしい数のユダヤ人の死体が放置されていた。
毒ガスで殺害されたユダヤ人
皮肉なことに、毒ガスを開発したのはフリッツ・ハーバーというユダヤ人だった。
死体はここで焼却されていた。
上の画像は「NHK 映像の世紀 第5集」のキャプチャー
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