コロナに強いプラモデル。家康公が静岡を「聖地」にした

 

かっぱえびせんならいいのだが、新型コロナの感染拡大が止まんなくて困る。

その影響が直撃した飲食業や観光業は大ダメージを受けて、19世紀のオスマン帝国のように「ひん死の病人」みたいな店が日本全国で続出。
でも、闇の反対には光がある。
人々が外出を控えるようになったことでうまれた「巣ごもり需要」を受けて、いま活気づいているのがこの業界だ。

朝日新聞の記事(12/27)

「前年比で30%以上増えた。生産が間に合わず、世界的に商品が足りない」と語るのは、模型大手タミヤ(静岡市駿河区)の田宮俊作会長だ。プラモデルに携わって半世紀以上だが、「僕が30~40代で設計した船の模型も売れている。こんなことは初めて」と驚きを隠さない。

「巣ごもり」でプラモ人気、タミヤ会長も「初めて」

 

自動車模型で有名な青島文化教材社でも、初心者向けプラモデルが前年比で約5倍の売れ行きで、模型店からは「ここ10年で一番売れた」、「みんな困っているのに、明るい話で申し訳ない」といった、うらやまけしからん声が上がっているという。

でも世の中にはいろんな人がいるし、調子の良いときに現れて台無しにする「好事魔」という魔も多いから、自慢話はそこまでにしたほうがよさそう。

何にでもケチをつける傾向があるネット掲示板をチラホラ見ても、プラモデルを悪く言う人はいなかった。

・こんな趣味なかった俺でもドラえもんのプラモデル買ったからな
・ガンプラマジで買いづらくなった。
・転売屋が買い占めてるだけじゃあるまいな
・近所の電気屋のプラモコーナー棚がガラガラになってる
・ブラタモリに見えたのは俺だけじゃないはず!
・プラモデル道を極めてオクで完成品を高く売れるようになった奴らがうらやましいw

 

「プラモデル」は日本人がつくった和製英語で、1950年代からその生産が始まった。
くわしいことはここを見てくれ。

日本プラスチックは1956年10月頃、日本初のプラモデルの「ゼロ戦」を発売、その後1957年春にはゴム動力の「原子力潜水艦ノーチラス号」を発売した

プラモデル・日本における歴史

 

上のガンプラなんかで、いまや世界的に有名になった日本のプラモデル。
その中心地は「お茶県」の静岡ということをご存じだっただろうか。
中部の静岡市のあたりには先ほど出てきたタミヤをはじめ、バンダイ、アオシマ、ハセガワといったなど有名プラモデルメーカーの本社や工場があって、プラモデルに関して静岡は全国売上シェア約90%を占める。(2010年で92%)

では、なんで静岡がプラモデルの「聖地」になったのか?
その答えは静岡市の南部にある徳川家康のお墓、この久能山東照宮にある。

 

 

徳川家康は駿河(静岡)で晩年を過ごして、そのまま息を引きとった。
この久能山東照宮にある案内には、静岡がプラモデル発祥の地でその歴史をさかのぼると、家康が崇拝していた静岡浅間神社を修繕したり、久能山東照宮を造営するときに「日本各地から優秀な職人が集められた事につながります」と書いてある。

ちなみに、静岡浅間神社のある賤機山(しずはたやま)から「静岡」の地名がうまれた。

 

 

徳川家康が(それ以降の将軍もそうかも)、全国から腕利きの宮大工や彫刻師を静岡に集めて寺社の建築をさせたあと、その職人らはそのまま定住して、木工技術を活かして家具や人形などの生産を始めたことがいまの「プラモデルの聖地」につながった。

その木工技法は代々受け継がれ、1932年(昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した。

静岡とプラモデル

そんなワケで久能山東照宮には数々のプラモデルが奉納されている。

 

 

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4 件のコメント

  • > 1932年(昭和7年)に、アオシマの創業者である青島次郎が、伝統技法を利用して木製の動力付き模型飛行機を製造販売したことを契機に、県内に多くの木製模型メーカーが誕生した。

    これだけでは、なぜ木製模型がプラモデルにつながるのか今ひとつ分かりません。おそらく、木材を加工して部品を作って模型にする技術が、プラモデルの「組み立て方」の設計技術へ活かされ、また、プラモの部品を製造するための「金型」作りにも役立てられたのでしょうね。木製模型は木材を「切削加工」して部品を作り出しますが、プラモデルは、プラスチックを削るのではなく、「金型へ流し込んで」部品を製造するものなので。

  • なるほどー、日本国内のプラモデルメーカーの元を辿ると「ソリッドモデル」と呼ばれる木製半完成品模型のメーカーだったりするようで、そのルーツが家康公の集めた職人にある、と言う訳ですね。

    プラモデルそのもののルーツと言えるソリッドモデルの来歴は、元々軍用で机上シミュレーション用のコマや、航空機や艦船の敵味識別訓練用に精巧な模型が多数必要だった為で、元々木製で作っていたソリッドモデルをイギリスのメーカーがプラスチック製で作成、戦後民間用に販売した事からプラモデルが始まったと言われております。
    「プラモデル」は和製英語で実は登録商標とされていますが、登録したのは一玩具問屋。
    当時既に広く使われていた呼称を登録して独占した事に対する反感は業界内でも強かったとか。
    後にその問屋は倒産、権利は別の問屋が引き継ぎましたが独占せず広く使用を認めた事で一般名称として気兼ね無く使えるようになったのだとか。
    その引き継いだ問屋の会長さんの回顧録かなんかで読んだ覚えがありますが、その問屋も既に倒産してます。

  • 何気に艦船系も需要が伸びていますな。メーカーも静岡。
    例のアレがまさかここまで続くとは思っていなかったし、まさか金型を引っ張り出してきたり新しく作る事になるとは思わなかったらしいので。
    ガンプラもそうだけどマニアはキットに頼らずに一からパーツを自作するし。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。