店で食べたり飲んだり、髪を切ってもらったりしたら、それなりの対価を払わないといけない。
これは小学生でも知ってる世界の当たり前。
でもお金がないのに飲食をしたり、タクシーで遠くに行ったりする人間がいて、新聞やテレビで全国デビューすることがたまにある。
サービスを受けたのにお金を払わないのなら、それなりの制裁を受けるのは仕方ない。が、それでもこれはやり過ぎなのでは?
安心してください。彼、生きてますよ。
ベトナムの首都ハノイにあるタトゥー・ショップに若者がやって来て、身体にタトゥーを入れてもらったあとに請求された金額を持っていないことがわかった。
「マジかよ。足りない金はあとで持ってこい」と男は店から解放されたものの、約4500円の支払いを嫌がって逃げ回っていたらしい。
でもその後、街でこの若者を見つけた店員が店まで連れてきて、男の上半身を裸にしたうえでビニールテープ(ラップ?)で体をぐるぐる巻きにし、胸の上に「タトゥー代金踏み倒し」という紙を張り付けて路上に放置。
ベトナムは日本に比べれば暖かいけれど、1月のハノイは15℃以下まで冷え込むこともある。
さすがにかわいそうと思ったのか、店側はしばらくしてからビニールテープをほどいて代金踏み倒しも許したという。
店がその様子をSNSに投稿した写真(上の画像はそのキャプチャー)を見たベトナム人ははじめ、いたずらか何かの企画だろうと考えた。
しかし、店が”私刑”として男を全身ラップ状態にしてさらし者にしたことがわかって、いまでは「これはやり過ぎ!」「違法だろ」といった非難が店に殺到しているとか。
「路上のミイラ」みたいなこのビジュアルには強烈なインパクトがあるから、この画像は海外でも広く拡散された。
コロナとネットに国境は無意味。
日本にも伝わっていまネット掲示板にはこんな書き込みがある。
・優しい処置だな。
国が変われば、商品を剥ぎ取っていたはず。
・額に「未払」って彫ってやればいいのに
・海にドボンされないだけマシ
同じアジアの国でも、日本で「全身ラップ巻きでさらし者」はあり得ない。
でもそれは現代の話で、江戸時代にはこれと同じ発想で似たような私刑(リンチ)が行われていたのをご存じだろうか。
それがこの「桶伏せ(おきふせ)」だ。
吉原・京都・大阪などの遊郭でいわゆる性的サービスってのを受けた客が、支払いの段階になって十分な金を持っていないことが発覚すると、「てめえコノヤロー!」と男を小さな窓のある風呂桶(ふろおけ)に閉じ込めて路上に放置した。
代金を払わないからこうなったので、すべては自業自得。
江戸時代の人たちが「桶伏せ」にされた男をバカにするのも、それを見て歌をつくるのも自由だった。
川柳などには、「桶伏はさかさにふるひ取つた上」「伴頭が来て桶伏ののびをさせ」「桶伏は元手の入つた恥をかき」などとよまれた。
この風習は元禄時代のころまであったらしい。
サービスを受けたのに「カネならない!」という人間には、罰としてさらし者にして恥をかかせるという発想はハノイで行われた”私刑”と同じ。
それで川柳を詠んだ江戸時代の日本に対して、ベトナムではネットにコメントが書き込まれるという違いはあるけれど。
ただ、この私刑はけっしてベトナム人の価値観を代表するものではない。むしろそれを否定するもので、人びとが不快感を感じたから店には非難が集まった。
それに対して「桶伏せ」は当時の日本人の常識の範囲内。
だからその様子は「色道大鑑」「江戸名所記」「吉原伊勢物語」「浮世物語」「大阪市史」といった江戸時代の書物に書かれている。
ベトナムでのタトゥーの歴史は知らないが、江戸時代には犯罪行為をした人間がその”証拠”として、顔に入れ墨をされることがあった。
これにも「恥をかかせる」という意図があったはず。
犯罪をした数によって「一」「ナ」「大」「犬」と段階的に入れ墨をしていき、五度目は死罪になるという地方もあったという。
でもこれも、当時の価値観の範囲内にあった。
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>サービスを受けたのに「カネならない!」という人間には、罰としてさらし者にして恥をかかせるという発想はハノイで行われた”私刑”と同じ。
>それで川柳を詠んだ江戸時代の日本に対して、ベトナムではネットにコメントが書き込まれるという違いはあるけれど。
いやいやいや、そりゃ発想は同じかもしれませんが。小さな穴の開いた桶に閉じ込められた程度で命に別状はないでしょうが、ラップで(顔まで)グルグル巻きにされたら窒息して死んじゃいますよ。
もし「どちらか選べ」と言われたら、私なら躊躇なく桶に入る方を選びますけどね。
吉原女郎と刺青とを比較しても、前者の方が、痛くないから断然いいです。