このまえテニスの全豪オープン女子シングルスで優勝した大坂なおみ選手が、自身のインスタで赤のビキニ姿を公開して、世界中のフォロワーから「ビューティフル」「ゴージャス」「とっても素敵」といったコメントが集まった。とスポーツ報知の記事(2021年3月12日)にある。
大坂なおみ、赤ビキニの大胆ショットを公開「ゴージャス」「ナイスボディー」
その大胆ショットはインスタグラムで確認してもらうとして、ここでの話は「ナイスバディー」だ。じゃなくて、その反応を引き出した「ビキニ」だ。
露出度の高さでいえば下着とほぼ同じで、公の場で姿をさらすことができるのはこれが限界だろう。“これ以上”の露出はきっと迷惑防止条例で捕まる。
ところで水着のビキニ(bikini)の由来はご存じだろうか。
この“原点”なら古代ローマ帝国時代にあるかもしれないが、直接の由来はそうではない。
5世紀ごろのモザイク画(イタリア)
今月はじめ、3月1日は「ビキニ・デー」だった。
1954年に焼津港を出た漁船「第五福竜丸」がこの日、アメリカが水爆実験をおこなった太平洋のビキニ環礁(かんしょう)の近くにいて、23名の乗組員が死の灰を浴びて被ばく。
そのなかのひとり、久保山愛吉(くぼやま あいきち)が死亡した。
この「第五福竜丸事件」についてくわしいことはこの記事をプリーズ。
久保山の死を聞いて泣き崩れる母と妻
核実験で生じたキノコ雲
「この世の終わり」といった世紀末感がすごい
マーシャル諸島のビキニ環礁(環状に形成される珊瑚礁)はオーストラリアの近くにある。
日本人の死者を出した1954年3月1日のアメリカの水爆実験(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾の約1,000倍の威力の水素爆弾が炸裂した。
その破壊力はすさまじくて、海底には直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターができたほど。
この実験から3月1日は「ビキニ・デー」として原水爆禁止運動の記念日となる。
ビキニ環礁という地球上の表面では針のように小さな一点が、世界中に大きな衝撃を与えたのを見て、フランスのファッションデザイナー、ルイ・レアールが露出度の高いツーピースの水着を「ビキニ」と命名して1946年に発表する。
これが現在、「ビューティフル」「ゴージャス」と呼ばれる水着の由来になった。
と誤解している人も多いのでは?
実際には、第五福竜丸事件のときの核実験と水着のビキニは直接的には関係ない。
この8年前の1946年7月1日、アメリカがビキニ環礁で第二次世界大戦後初の原爆実験(クロスロード作戦)をおこない、世界中の人たちがショックを受けた。
小さなビキニ環礁がすさまじい衝撃を与えたのを見たルイ・レアールが、「like the bomb, the bikini is small and devastating」と自身の新作水着を核爆弾に例えたのだ。
ツーピースの水着なら以前からあった。
でも露出度の高いこのビキニ(女性のへそ出し水着はこれが初めて)は、当時としてはかなりの破壊力があり世間を騒がせる。
1950年代後半のツール・ド・フランスではビキニを着た娘たちを載せて競技選手の後を追わせた。まだフランスがこうしたファッションに寛容ではない時代のことであり、たいへんなセンセーションを巻き起こした。
ということで、水着のビキニは戦後初の核実験に由来する。
1946年7月5日に世界で初めてビキニが発売されたことから、この日が「ビキニの日」となった。
3月1日のビキニ・デーと無関係ではないけれど、内容はまったくの別もの。
さすがに2021年の現在ではビキニの破壊力もそう大きなものではないけれど、「誰が」と「面積」しだいではいまも日本や世界に衝撃を与える破壊力は秘めている。
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