確かに中国に仏教を学んだが、「お彼岸」は日本独自の文化だ

 

2021年3月18日のいまは、「ヤマザキ春のパン祭り」の真っ最中。
それはそうなんだが、日本の伝統行事でいうと春のお彼岸(ひがん)の最中でもある。(~23日まで)
日本でお彼岸はご先祖を供養する期間で、おはぎをお供えするのが約束になっている。

おはぎの小豆(英語でレッドビーンズ)の赤には、邪気を払う効果があると信じられていたから、このお菓子が先祖供養のときに使われるようになったという。
故人の好みによっては山崎製パンでもいいと思う。

 

 

このまえ台湾人と中国人一緒に、静岡県西部のお寺・可睡斎で行われている「ひな祭り」を見に行ったときに意外な話をきいた。
5月5日の端午や7月7日の七夕などの「五節句」のうち、日本では全国的なイベントである3月3日の「桃の節句(上巳:じょうし)」を、いまの台湾や中国では何もしないという。

五節句の中でもひな祭りといったら、日本ではいちばん有名で盛んではないか?と思うのだけど、台湾・中国では特にイベントは行われないらしい。

そんな台湾人からすると、4月4日の「清明(せいめい)節」のとき、日本人が何もしないことに違和感をもつと言う。
4月4日の清明節になると台湾や中国の人たちはお墓参りをして、ご先祖さまに肉や米、酒などをお供えする。
このときに先祖を祀るのは誰もがするような重要な行事だけど、日本ではこのとき特に何もない。
「清明節ってなに?」という日本人がフツーにいる。

言われてみれば清明節なんて、台湾・中国の文化に興味のある人ぐらいしか知らないかも。
*中国文化の影響を強くうけた沖縄では「清明祭(シーミー)」のお墓参りは有名。

 

 

なんで日本では清明節が”ない”のか?
これはきっと春のお彼岸のせいだと思うのですよ。

古代の日本人は仏教を中国から学んでいろいろ取り入れてきたから、お彼岸(彼岸会)もそのひとつと思い込んでいたが、実はこれは日本独自の仏教行事だった。
インドや中国の仏教にこんなイベントはない。

春分の日と秋分の日のころには、昼と夜の長さが同じになる。
太陽が真東から昇って真西に沈むことから、西方にある「極楽浄土」をイメージして夕日を礼拝したことが彼岸の始まりといわれる。

仏教系大学・大谷大学のHPには、門脇健教授のこんな説明がある。

夕日や夕焼けに対する日本土着の独特の感性と西方浄土の阿弥陀仏への信仰が重なって、このような習俗が形成されたのであろう。つまり、春分・秋分の前後の真西に沈む夕日に西方浄土の方角を確認するとともに、その浄土で阿弥陀仏に迎え入れられた故人を偲ぶと観念されるようになったのである。

お彼岸

 

民俗学者の五来 重(ごらい しげる:1908年 – 1993年)の説によると、彼岸ということばは、豊作を太陽に祈願する「日の願い(日願:ひがん)」が後に仏教の「彼岸」と結びついた。
ということは、もとは日本古来の太陽信仰だったことになる。

6世紀、中国の皇帝から「なぜ阿弥陀仏の浄土は西方にあるのか?」と質問された仏教僧の曇鸞(どんらん)は「分かりません」と答えたという。
極楽浄土は西にあると仏教で伝えられているけれど、そのハッキリした理由は不明なのだ。
日本人の場合はこんな疑問をもつまでもなく、(おそらく神道の)太陽信仰から、夕日は自然と極楽浄土と結びついて、そんな考え方を当然のように受け入れてきたと思う。

日本が国として公式に行ったお彼岸は806年に早良親王の怨霊を鎮めるため、春分と秋分を中心とした前後7日間にお経(金剛般若波羅蜜多経)をよんだという記録がある。
これが仏教行事として初めて行われた彼岸(会)だ。
この背景にある思想は古代からの太陽信仰ではないか。

 

 

京都の清水寺にある西門ではむかし、沈む太陽を見て極楽浄土をイメージする「日想観」という仏教修行がおこなわれていた。(いまもあるかも)
これに特別な知識や覚悟はいらない。
静かな心で夕日を見るだけでいいから、ここでの日想観は仏教僧のほか民衆にも広まったという。
くわしいことは清水寺のホームページで確認しよう。

清水寺境内の入り口近くに建つ西門(重要文化財)は、日想観の聖地です。京都屈指の夕陽の名所でもあるこの場所は、日没時には多くの参詣者が立ち止まり、西の空に沈む夕陽に思いを馳せています。

日想観

 

中国で日本のお彼岸は、清明節と同じものとして理解されている。
このとき日本人は先祖を祀っておはぎなどのお供え物をするから、その2~3週間後の清明節でまた同じことをする必要はない。
だから台湾や中国の清明節でのお約束、紙でつくったお金(纸钱)を焼く習慣は日本で定着しなかったのでは。

 

この人物は津田 左右吉(つだ そうきち:明治6年 – 昭和36年)という、戦前の日本を代表する歴史学者で思想史家だ。

 

 

津田は日本と中国の文化を比べてこう指摘した。

日本のことを知れば知るほど、支那のことを知れば知るほど、日本人と支那人とは全く別世界の住民であることが強く感ぜられて来るのである。

「支那思想と日本 (津田 左右吉)」

 

支那(シナ)とは中国のこと。
いまの日本でこの言葉は侮辱語や差別語になるからNG。

お彼岸の行事はひな祭りと同じように、中国由来と思っていたけれど、実はまったく違って中国仏教の影響を受けた日本独自の行事だった。
こんなふうに、日本文化と中国文化をごっちゃにしている人は多いと思う。
でも日本や中国を知れば知るほど、良い悪いや上下の違いはなくて、日本人と中国人はそれぞれ別の世界に住んでいたことがわかる。

 

 

よかったらこちらもどうぞ。

将棋やチェスの起源、古代インドのゲーム「チャトランガ」

外国人の好きな日本文化「着物」。歴史と特徴を簡単にご紹介。

【歴史雑学】中国・韓国・ベトナムにも「東京」があった!

世界の見方や常識が変わる15の地図。これが本当の地球だった

インド 目次 ②

インド 目次 ③

 

3 件のコメント

  • > 極楽浄土は西にあると仏教で伝えられているけれど、そのハッキリした理由は不明なのだ。
    > 日本人の場合はこんな疑問をもつまでもなく、(おそらく神道の)太陽信仰から、夕日は自然と極楽浄土と結びついて、そんな考え方を当然のように受け入れてきたと思う。

    そうすると、聖徳太子が遣隋使の小野妹子に持たせて隋の皇帝へあてた手紙「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」も、もしかすると、日本から見て西方にある中国皇帝に敬意を表してわざわざ選んだ表現なのかもしれないですね。ただし、この書を受け取った隋の煬帝は激怒したらしいですが。
    今も昔も、外交とは、かように難しいものなのですね。

  • 「支那そば」はラーメンにするべきですね。
    知人の台湾人もあの表現を嫌っていました。
    百害あって一利なしです。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。